てんびん座
夢のあとさき
「部分」にこだわる
今週のてんびん座は、「部分の芸術」としての随筆のごとし。あるいは、つれづれなるままに集めた「部分」へのこだわりを強めていこうとするような星回り。
西洋では長いもの、大きなもの、派手なものが好まれ、小品よりも大作の方が評価が高い傾向がありますが、日本では逆に短いもの、小さなもの、地味なものが好まれ、それが端的に現われたものが随筆でしょう。
方丈記にしろ徒然草にしろ枕草子にしろ、そこにあるのはてんでばらばらな話題の寄せ集めで、そこには全体を律するプランというものはありません。西洋のエッセイは形式こそ自由ですが、ゆるやかにせよ建築的なプラン(全体の構図)はしっかりとあり、こういうものを読みなれた西洋人が日本の随筆を読んだら、そのずさんさと統一感のなさに唖然としてしまうかも知れません。
なぜこうした違いが出てきてしまうのか。それは日本人が「部分」あってこその「全体」という考えやこだわりが強く、ほとんど「全体」など眼中にないからでしょう。「全体」はあくまで後からついてくるものであり、偶然的なものの結果でしかないのです。
フランス文学者の野内良三はこうした日本特有の随筆や和歌、俳句などを「部分の芸術」と呼びましたが、「今ここ」が問題となる偶然性においては、自然と「在ることの可能性が小さいもの」に注目するスタンスが大事になってくるのです。
8月8日にてんびん座から数えて「点と点とを結んでいくこと」を意味する11番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、ミクロの視点をこそ改めて大切にしていきたいところです。
「虚に居て実を行ふべし」
これは俳句の根本を端的に示した芭蕉の言葉で、「虚」とは事実に対する虚偽であり、現実に対する空想のこと。つまりこの言葉は、「作品の上にありもしないことを描き、想像の世界に人を導き、事実であるかのごとき錯覚を抱かせよ」という意味になります。
ただ、恐らくこれは単に虚=嘘を重んずるという話ではなく、広く日本の文芸というものが、日常世俗とは異なる価値に軸足を置くものであることを肝に銘じよという話でしょう。
つまり、実=真実が虚を呼び起こし、虚はいつでも実に収斂して、絡みあった両者が目指すのは一つの真実であろうという‟虚実自在の境地”のことを言っている訳です。このことはその反対の状態、すなわち、事実にとらわれながら、すなわち必然性にガチガチに固定された状態で人が想像力を羽ばたかせられるかを考えれば、言わずもがなでしょう。
したがって、虚にいて実をおこなうとき、その虚は実へいたる架け橋であり、単なる事実を超えたより深い実への弾性を秘めたジャンプ台となるのであり、それこそが「部分の芸術」の真骨頂とも言えるのではないでしょうか。今週のてんびん座もまた、そうした意味での「虚実の妙」ということが鍵になっていくでしょう。
てんびん座の今週のキーワード
現実を逆手にとる