てんびん座
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自己完結的に捉えるのはもうやめよう
今週のてんびん座は、ぼんやりとそれを生きている合意的現実への連続的疑問符のごとし。あるいは、消化のしにくさ、難しさにこそ留まっていこうとするような星回り。
セバスチャン・ブロイは2017年に刊行されたイギリスの批評家マーク・フィッシャーの『資本主義的リアリズム』のあとがきにあたる「諦めの常態化に抗う」という文章の中で、次のように問いかけています。
資本主義は欲望と自己実現の可能性を解放する社会モデルとして賞賛されてきたにもかかわらず、なぜ精神健康の問題は近年もこれほど爆発的に増え続けたのだろう?社会的流動性のための経済的条件が破綻するなか、なぜ、私たちは「なににでもなれる」という自己実現の物語を信じ、ある種の社会的責務として受け入れているのだろう?鬱病や依存症の原因は「自己責任」として個々人に押しつけられるが、それが社会構造と労働条件をめぐる政治問題として扱われないのはなぜだろう?もし資本主義リアリズムの次代において「現実的」とされるものが、実は隙間だらけの構築物に過ぎないのであれば、その隙間の向こうから見えるものは何だろう?
ブロイのこうした問いかけは、あきらかに、私たちがそれぞれに体験している「傷つけられた生」を、単に「個人の物語」として自己完結的に捉えてしまわないように、という忠告を含んでおり(大坂なおみ選手の記者会見拒否の一件もそうであるように)、そうした捉え方をしている限り、先の問いの答えはいつまでも明かされないままでしょう。
10日にてんびん座から数えて「探究」を意味する9番目のふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、なんとなく感じていた不安感をうやむやにせず、きちんと自分なりの言葉にしていくべし。
“玉手箱”を開けていく
玉手箱といえば、浦島太郎が竜宮城からの帰りに乙姫から「絶対に開けるな」と言われ受けとったあれです。ダチョウ倶楽部に倣うまでもなく、そんな前フリをされれば気になって開けてしまうのが人間のサガというもの。
太郎の場合、竜宮城では封じ込められていた“実際に重ねた年齢”が箱の中から出てきて一気に年を取ってしまいましたが、そんなふうに玉手箱は中に「誰もが気付かないフリをしてきた現実」が入っていて、必ずいつか誰かの手によって開けられる運命にあるのです。
それはとても怖いことですが、しかし、物語を結末に向けて帳尻を合わせていくためには、やはり必要不可欠なことなのではないでしょうか。
今週のてんびん座にとって、普段なら避けるような重い話だったり、なにげなく問いかけられた根本的な問いかけなどは、玉手箱を開けるきっかけに繋がっていきやすいはず。
今週のキーワード
開けられる時を待ってる玉手箱