てんびん座
参与ということ
慈雨と雲
今週のてんびん座は、「五月雨や起きあがりたる根無草」(村上鬼城)という句のごとし。あるいは、何をせっせと励んでいくべきか、改めて思いを巡らせていくような星回り。
「五月雨(さみだれ)」は梅雨期に降り続く雨のこと。掲句は、刈り取られたか、抜かれたか。とにかく根のなくなった草がそのへんにうっちゃられていたところへ、五月雨が降ったために、それまで萎れて今にも枯れようかと思っていたのが、以外にも頭をもたげて「起きあ」がってきた、ということなのでしょう。
作者は耳が不自由だったり、子供が10人もいたりと、さまざまな理由が重なって長く不遇な環境に置かれ、弱者への憐れみや悲しみに大変に敏感な人でしたから、この「根無草」をどこかで他人事には思えなかったのかも知れません。
それでも自分には俳句があったし、師である正岡子規がいた。それは慈雨のごとく、くたびれた精神をよみがえらせてくれた。だからこそ、わずか一枝の筆の力ではあれど、句を詠み続けることで、見も知らぬ誰かに慈雨をふらす雲として在りたい、と。
6月2日にてんびん座から数えて「洗い清めること」を意味する6番目のうお座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、受取ったバトンをつないでいくように、自身のなすべきことを意識してみるといいでしょう。
根をもつこと
思想家のシモーヌ・ヴェイユは人間の魂のもっとも重要な欲求として「根をもつこと」を挙げ、同時にもっとも定義の難しい欲求のひとつであると述べていました。
「人間は、過去のある種の富や未来へのある種の予感を生き生きといだいて存続する集団に、自然なかたちで参与することで、根をもつ。自然なかたちでの参与とは、場所、出生、職業、人間関係を介しておのずと実現される参与を意味する。」
さらに彼女はこう続けます。
「人間は複数の根を持つことを欲する。自分が自然なかたちでかかわる複数の環境を介して、道徳的・知的・霊的な生の全体性なるものを受けとりたいと欲するのである。」
人は「道徳的・知的・霊的」に癒されていくために、ひとつの集団に参加するだけでは飽きたらず、複数の環境をはしごしていく。その過程で、根無し草になることだってあるでしょう。それも人間の本性に照らせば、また自然な展開なのです。
今週のてんびん座もまた、自分が深く参与していくべき「集団」とは、一体どこのどんな人たちなのかということを改めて意識して、周囲を見渡してみるべし。
今週のキーワード
現代人はすべからく根無し草である