てんびん座
私たちは人間menとしてある
多くの人がいてこそ
今週のてんびん座は、「花の幹に押しつけてゐる喧嘩かな」(田村木国)という句のごとし。あるいは、肌に馴染む人間味に触れていくような星回り。
名句の条件として「覚えやすい」というものがありますが、掲句はその意味で作者の代表句と言えるでしょう。
一読して、花見の場での派手な喧嘩沙汰の光景が思い描かれるのではないでしょうか。「押しつけてゐる」ということですから、一方がやや強くて、胸倉でもとって相手を押していって桜の幹につけており、相手は必死に押し返そうとしている。ただ、それだけのことが句に詠まれています。
ところが、それから強く押さえつけている方が、ぎゅうぎゅうと相手を幹に押しやる度に、桜の樹は揺れて、はなびらがひらひらと散りかかる様子が思い描かれる。そして、そんな喧嘩を見る人たちが群れをなして周囲に垣をなし、またそうこうする内に誰かしらの仲裁が入りそうな予感が漂います。
そして、どうしたことかここで描かれる喧嘩は、舞台設定の派手さはあるものの凄味はなく、どこか子供っぽい微笑ましささえ感じられるから不思議です。
21日深夜にてんびん座から数えて「活動action」を意味する10番目のかに座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、滑稽さも含めて改めて人と人とがぶつかりあう場に充ち溢れる活気と尊さに打ち震えていくことになるかも知れません。
生命力の解放
なぜ人は傷つくことがあってなお、誰かを愛そうとするのか。それは、生きていくモチベーションを自分ひとりだけで持ち続けるのは困難だから、という理由に尽きます。そして活動というものもまた、自分以外の誰かがいて初めてその意味や価値を実感することができるという点で、求愛することとどこか似ているのかも知れません。
そう、ややこしいことはさておき、今週はこれからも生きていくために、いかに人を愛しうるか(愛されるかではなく)、ということが問われてくる時なのだとも言えます。
「われわれは生きて肉体のうちにあり、いきいきした実体からなるコスモス(大宇宙)の一部であるという歓びに陶酔すべきではないか。眼が私のからだの一部であるように、私もまた太陽の一部なのである。」(T・H・ロレンス『黙示録論』)
一般的には『チャタレー夫人の恋人』の作者として知られるロレンスがテーマにしたのは、近代社会の狭くせせこましい道徳の中でがんじがらめになった生命力を、偽善の拘束から解き放つことでした。
今週のてんびん座のテーマもまた、「いかに生命力を偽善の拘束から解き放ちうるか?」ということと表裏であるということをよくよく胸に刻んでいくといいでしょう。
今週のキーワード
自分は大いなるものの一部であるという感覚