てんびん座
聖なるものに目を見開く
アクィナスの指摘
今週のてんびん座は、キリスト教の精神生活の理想とされる「コンテンプラチオ」という言葉のごとし。あるいは、怠惰と余暇との違いについて再認識していくような星回り。
「コンテンプラチオ」とは、ギリシア語の「テオリアtheoria(見ること、観想)」に由来する言葉で、通常は修道僧が人里離れた荒野や修道院で行っている内観としての修行などを指すのですが、カトリックの哲学者ピーパーは『余暇と祝祭』の中で、現実のなかで目を開くこととしてより平易に定義し直しているのです。
中世の天使博士トマス・アクィナス「愛のあるところ、そこに眼がある」と言ったそうですが、興味深いことに、この「愛」の対立概念として「怠惰」を挙げていました。
中世において「怠惰」というのは、せっせと日々の仕事にいそしむ「勤勉」と対立するものではなく、むしろ十戒の第三の掟「あなたがたは安息日を聖なるものにしなさい」に背くものであり、つまりは「神的なものに目を見開くこと」に逆行する積極的行為と見なされたのです。このアクィナスの指摘は、なかなか言われてみなければ思いつかないのではないでしょうか。
22日にてんびん座から数えて「純粋なあそび」を意味する5番目のみずがめ座の始まりで木星と土星の大会合が起きていく今のあなたもまた、いかに怠惰ではなく余暇を習慣化できるかが問われていくでしょう。
「知覚の扉」を開けていく
作家オルダス・ハクスレーが自身で幻覚剤メスカリンを使用した意識の変容体験記『知覚の扉』の巻頭には、神秘主義詩人ウィリアム・ブレイクの詩から次のような一節が引用されています。
「知覚の扉澄みたれば、人の眼にものみなすべて永遠の実相を顕わさん」
メスカリンとはもともとペヨーテというサボテンの一種から取れる成分で、かつてのアメリカの原住民たちにとってペヨーテは極めて崇高な存在であり、まさに意識を未知の次元へと見開いていくための「知覚の扉」だった訳です。
ただそうした古き共同体には、見知った世界を抜け出したいと急ぎ焦る若者に対して「お前はまだその準備ができていない」と釘を刺してくれる長老格が必ずいたものでしたが、今日の現代社会ではそうした緩衝材はほとんど機能しなくなりました。
だからこそ、他の誰でもなく自分自身で、自分の心にノックして、確認しなければならないのです、「本当に扉を開けるのか?」と。
今週のてんびん座は、自分の世界がどこまで開かれているのかをみずからの眼で確かめていくことになるでしょう。
今週のキーワード
怠惰とは愛に目を開いていないこと