てんびん座
魂の座
市の再会と交換の開始
今週のてんびん座の星回りは、「虹見ゆるところに市が立つ」という言葉のよう。あるいは、特定の場で特定のタイミングに促される特別な“交換”を行っていこうとすること。
歴史学者の勝俣鎮夫は、虹が原初的な“市”ないし交換の観念と密接な関係をもっていたことを指摘して、以下のように述べています。
「虹は天界(他界)と俗界とを結ぶ橋と考えられていたのであり、虹が立てばその橋を渡って神や精霊が降りてくると信じられ、地上の虹の立つところは、天界と俗界の境にある出入口で、神々の示現する場であった。そのため虹の立つところでは、神迎えの行事をする必要があり、その祭りの行事そのものが、市を立て、交換をおこなうことであったのである」(『税・交易・貨幣』)
虹の正体は、雨粒に反射した太陽の光。
つまり、雨が降ってその後晴れていなければ虹は現われませんから、上記の「祭り」とは恵みの雨を降らせるための雨乞いの儀礼であり、それが成功した際に初めて、閉ざされていた‟市”の門が開かれ、交易が再開されていった訳です。
そんな“市”は、物と物とが交換されていく商いの場としてだけでなく、ときにそこで戦争が起きたり、また男/女のコミュニケーションのために開かれた占いの場でもありました。
11日(土)にてんびん座から数えて「公的な場」を意味する10番目のかに座で満月が起きていく今週もまた、古代的な意味で“虹が立つ”ようなタイミングであり、自然とあなたは自分の内部にある願いや情念を外部へ開いて放出していくことになっていくでしょう。
童心は神心
中世では、神事につかう楽器、お使いである犬や鷹、人間の命を託す船、あるいは鎧や刀などさまざまな特別品に、子どもの名前であることを示す「丸」をつけて呼んでいました。なぜか。
それは子どもというのが、聖と俗の境界にある特異な存在であると見なされていたから。つまり神仏と関係をもち、その力の恩恵にあずかっていると考えられていた訳です。
逆に言えば、そうした子供が怖がるものというのは、神仏がその力を発揮する上で遠ざけておきたいものや状況でもある、ということ。
「子供が喜ぶか、怖がるか」という基準は現代人が思っている以上に、大事にされてきた事なのです。
今週てんびん座のテーマもまた、そうした神仏の力をきちんと授かることのできるような、魂の座を見つけていくことにあります。色々な意味で初心を取り戻していきたいところです。
今週のキーワード
迷ったら、自分の中の童心に問うこと。