てんびん座
表わすことで輝かす
笑いと安息
今週のてんびん座は、「裏がへる亀思ふべし鳴けるなり」(石川桂郎)という句のごとし。あるいは、自分の滑稽さをおかしいと笑える自分であろうとしていくような星回り。
亀は発声器官がないので、実際に鳴くことはありません。ところが、掲句では作者は読者に裏返った亀のことを想像してみよと命じた上で、ほら、亀は鳴いているぞ、聞こえないのかとこちらに声を向けてくる。
おそらくこれは、ガンを患った自分自身について詠んだある種の自画像なのでしょう。
亀は裏返るとなかなか元には戻れず、短い手足をバタバタさせるばかり。その姿はあわれではありますが、どこかおかしみも感じられます。
もともと王朝貴族の文化だった和歌を笑うために生まれたのが俳句でしたから、こうした「おかしみ」について言葉にすることはいわば俳句という文芸のルーツでもある訳ですが、そういう意味では今週のあなたのテーマもまさにここにあるのだと言えるでしょう。
つまり、単に滑稽な自分であるところから、自身の滑稽さを笑い、さらに「おかしみ」を表現する言葉にしていく。鳴いている亀は想像の産物ですが、そこに嘘偽りない自分の姿を見出し、一息に言葉へ焼きつけていく。
それは誰からも見向きもされず、救われない自分自身への「はなむけ」なのではないかと思います。
タゴールの生命観
アジアで最初のノーベル賞を得たインドの詩人・タゴールは、大らかで悠久なる生命観を歌いあげた多くの詩を残してくれていますが、「生の実現」を意味する『サーダナ』においては、とりわけその煌めくような生命ビジョンに惜しげもなく言葉が与えられています。
「われわれは至るところで生と死の戯れ―古いものを新しいものに変える働き―を見ている。」
「生命は自分の行動を妨げようとする老化を嫌う。」
「生命が詩と同じように、たえずリズムを保つのは、厳格な規則によって沈黙させられるためでなく、自己の調和の内面的な自由をたえず表現するためである。
「生命の特色はそのものだけでは完全ではないという点である。生命は外に出なければならない」
1日ごとに新しくよみがえり、生と死が交錯していくこの世の情景において、ただ埋没的に影を落とすだけの在り方を、タゴールは暗に批判しているのだと言えます。
つまり、生命の真価は、その生命力を表現することにおいて輝くのだ、と。
今週のキーワード
生の実現としての詩