てんびん座
言葉にならない思いを紡ぐ
手触りこそ伝えけれ
今週のてんびん座は、俵万智のチョコレート語訳のごとし。あるいは、ただ分かりやすいことだけを価値と見なすのではなく、そこにある手触りをこそ伝えていこうとするような星回り。
俵万智さんが与謝野晶子の『みだれ髪』に載っている歌と、同じ歌を自分で現代語訳した歌を併記するという構成になっている『みだれ髪 チョコレート語訳』(河出書房新社、1998)という本を読んでいると、改めて母語ということを忘れ、日本語って凄いなぁという気持ちになってきます。
みだれ髪を京の島田にかへし朝ふしてゐませの君ゆりおこす
朝シャンにブローした髪見せたくて寝ぼけまなこの君ゆりおこす
最初の歌が明治時代の与謝野晶子で、ふたつ目が平成の俵万智訳である。
「京の島田」というのは、当時流行りだった未婚の女性が結う髪型のことで、この歌は与謝野晶子が鉄幹とはじめて夜をともにした朝を詠んだものですが、本のタイトルにもなった「みだれ髪」が俵万智の手によって「朝シャンにブロー」され、現代的な風景として鮮やかによみがえってくる。
そうそう、短歌や歌ってこんな風に日常のなにげない実感をぎゅぎゅっと凝縮してみせてくれるものだったと、こんなにも思わせてくれる仕事はなかなかない。
今週のあなたもまた、こぼれ落ちていきがちな何気ない実感をそっと拾い上げて言葉にのせていくような、そんな一手間を忘れずに加えていきたいものです。
継承と変容
言葉というのは、単に情報を伝達するためのものではなく、その語り口や語の選択によって、手触りや響きや質感などが大きく変わっていくものです。
そして短歌というのは、「五七五七七」という決められた枠の制限を設けることで、そうした微妙な差異にきわめて自覚的に関わっていく営みであり、それを達人の域まで磨き上げてきたのが歌人という人たちなのだと思います。
八つ口をむらさき緒もて我れとめじひかばあたへむ三尺の袖
ペアルックなんか着ないわ新しい服をくれるという人が彼
この「彼」というのが鉄幹だった訳ですね。
それにしても、きっと人生には一度しか書けない文章や語の組みあわせというものがあって、与謝野晶子はあの時代に自分の命を燃やしてそういう言葉を紡ぎ続けてみせた訳ですが、俵万智はそれをもっとさりげなく、軽やかに、けれどやはり二度とないさじ加減で作り変えてみせてくれました。
こうして言葉の底にある思いを受け継ぎつつも、言葉を変えて繋いでいくのも言葉を使う私たちの役目なのかもしれませんね。
今週のキーワード
詩の言葉と日常の言葉