てんびん座
剛毅と繊細
無数の針と一滴の血
今週のてんびん座は、「乱立の針の燦(きらめき) 一本の目処より赤き糸垂れてをり」(葛原妙子)という歌のごとし。あるいは、何げない関わりのなかにギクリとするような声を耳にしていくような星回り。
乱立する針が、それぞれに鋭く細い線状にきらめいている。美しい光の集積が、逆に嵐の前の静けさのようで恐ろしい。そんな光景に、さらなるドラマを作り出しているのが、針穴から垂れた1本の赤い糸。
この糸の存在により、情景の不穏さや不気味さはより一層強烈なものとなっている。
おそらくこの針山は作者の胸の内なのだろう。誰かの言葉が、ふとした発言が、無機的で鋭利な針のように突き刺さっている。
それほどに、人が人に向ける敵意や悪意というものは冷たく容赦がない。そういうことに次第に慣れていって、当たり前になってくると、自分がどこでどう傷ついたのかさえ分からなくなる。
ところが、作者はあえて自分の胸の内深くに突き刺さった針から垂れる赤い血を指さして、「ほらご覧なさい」とばかりに読者に突きつけていく。その強い意志と、裏腹の繊細さとのバランスのとり方は、今週のてんびん座にとってよき指針となっていくはず。
名前を呼ぶときは丁寧に
寺山修司はかつて『家出のすすめ』で、次のように述べました。
「人間は、一つの言葉、一つの名の記録のために、さすらいつづけてゆく動物であり、それゆえドラマでもっとも美しいのは、人が自分の名を名乗るときではないか。」
確かに、自分の名前を誰かに告げる瞬間というのは本来とても決定的な瞬間です。というのも、私たちは誰かに名前を呼ばれることで存在が確定するのだということを、どこかで知っているからです。
ただ一方で、私たちはふだん他人や自分の名前を雑に扱うことにすっかり慣れてしまっているのも事実でしょう。その根本的な理由には、私が<私>の感覚を信じられず、自信を持てないからということがあるのでしょう。
逆に言えば、誰かの名前を相手の存在をしみじみ感じながら呼んでいくことで、呼ばれた相手は<私>の感覚が強まるのを感じ、自分の感覚を信じてよいという自信を抱くことができるのです。
今週のテーマは、そんな言葉の幻術を現実の中で感じていくことの中にあるのかもしれません。
今週のキーワード
<私>という不穏