しし座
矛盾と生命
喜怒哀楽の引き立たせる
今週のしし座は、「あつきものむかし大坂夏御陣」(夏目漱石)という句のごとし。すなわち、自分にとっての「あつきもの」とは何か、ということを想いだしていくような星回り。
大坂の夏の陣と言えば、徳川家康・秀忠らの大軍に攻め込まれ、当時23歳であった秀吉の遺児・豊臣秀頼とその母・淀君が自刃して果て、豊臣家が途絶えた戦のこと。そしてたいていは2人の悲劇に思い巡らせる訳ですが…。
そこを漱石は「さぞや暑かったろうな」とすっとぼけているのが、いかにも漱石らしくて、思わず笑ってしまう一句です。しかしお涙頂戴に走られるより、そうしていったんシニカルな笑いを経た方が、その後により一層哀しさがこちらに届いてくるようにも思えます。
喜怒哀楽というのは、そのどれかひとつを単独で強調されるよりも、複数が絶妙に織り交ぜられた方がかえって後に引くような深みが出てくるものなのかもしれません。
だとするなら、しし座のあなたも、ただ喜びや楽しみを求めていくより、どこかで哀しみを滲ませ、怒りを喚起させていくことで、喜びや楽しみをより「あつきもの」にしていくことができるのだと言えるでしょう。
あるいは、大いに笑うためにこそ悲劇を求めていくことになりそうです。
一遍上人の矛盾
漱石の一句のように、きわめてシンプルなきっかけを通じて、人間の運命的な実相に迫っていく手腕に優れていた人に、一遍上人がいます。
例えば、筆者が彼の語録の中で次の言葉に出会ったときは、かなり衝撃的でした。
「生ぜしもひとりなり、死するも独なり。されば人と共に住するも独なり、そひはつ(添い果つ)べき人なきゆえなり」(下68)
すなわち、人間生まれてきたときもひとり、死ぬときもひとりであってみれば、この世で誰といるときも本質的にはひとりなのだ、というのです。
神や仏の前では人間はひとりだという教えは珍しくありませんが、そういうものを持ち出さずとも、人間の本質はただひとりあることなのだとここまで単純明快に示した人を、筆者は他に知らない。
しかし、そんな「ひとり」を説いた一遍上人は、一方で多くの人に教えを説き、また女房子供を捨てきれずに共に旅をした人でもありました。この矛盾こそが、一遍という人物のただ事ではない奥深さを創り出しているのではないでしょうか。
そういう意味では、今週は自分の中の大いなる矛盾の中にこそ、自分をいきいきとさせてくれるヒントを見出していけるかもしれません。
今週のキーワード
ひとり