しし座
年年歳歳
皮下の動きを洞察する
今週のしし座の星周りの底意を探るなら、それは「一本のしわに全人生を見よ」あるいは「有限の一瞬の中に無限を垣間見よ」という言葉になるでしょう。
「有限な一瞬」と書けばなんだか物々しく響きますが、ともすればそれは「ありきたりな日常」として人の目には映り、ルーティンワーク化した営みの中で、人は次第に身体や心を硬直させつつ、顔にしわを刻んでいきます。
そしてある朝、鏡の前で以前にはなかったしわの存在に気付いたとき、ある人は心乱し、またある人は気付かぬふりで看過しつつ、大方の人は新たな生、新たな日常を不用意に開始していくのです。
しかしここで考えてみる必要があるのは、そうした“しわの刻み”は果たして偶然のいたずらなのか?ということ。ルーティンを構成する一連の動作の中の、筋肉の動き一つ取り出してみたとき、そこに在るのはガランとした意味の空白なのか、それとも海岸線と自己相似する砂粒のように、全体を見事に潜ませた部分なのか。
今週は、そんな自らの日常に刻まれた願いや祈り、そしてその行き着く先を改めて思い起こしていく時となりそうです。
刻まれたしわを愛するために
言ってみれば、一本のしわとは、あたかも渚に打ち寄せる波のように、同じ動作が繰り返し再生されることで形成される「偶然の必然=運命」であり、そのしわがどんな具合で刻まれているかは、即ち「自己の運命に与えられた有限性=輪郭と限界」に他なりません。
そう、この世で生きていけばいくほど、人はおのれの有限性を突きつけられるのです。
だからこそ、友人であれ、仕事仲間であれ、夫婦であれ、しわが刻まれる時間を共有できるだけの相手かどうかということは年々大事な問題となっていきます。輪郭の違いが際立てば自然と運命は分かれ道を迎え、限界や無理が近づけば自然と距離ができる。
ただ、勘違いしてほしくないのは、それは年をとれば偏狭になっていくということではなくて、むしろそうして自己の運命を受け入れるに従って、かえって人はその背後に人智では窺い知れない隠れた意志の働きに身を任せることを覚え、自由になっていくのだということ。
「年年歳歳 花相似たり 年年歳歳 人同じからず」(唐詩選)
恋の始まりに、後に自分の顔に刻まれるであろうしわを思う人はあまりいないかも知れませんが、できるなら顔に刻まれるしわまでも愛せる人との付き合いを選びたいものですね。
今週のキーワード
運命愛