しし座
白衣を脱ぐ
宇宙塵(うちゅうじん)としてあること
今週のしし座は、『榠樝の実が土打つ一度きりの音』(村上鞆彦)という句のごとし。あるいは、これまでの自分をスーッと明け渡していこうとするような星回り。
「榠樝(かりん)の実」は俳句の世界では晩秋の季語で、樹上高くに黄色くでこぼこした堅い実をつけ、大人の手をはみだすくらいの大きさにもなりますから、落下して土の上に落ちた際にはそれなりの衝撃があるはず。
とはいえ、人間側としてはもっぱら落ちている実を拾ってのどの薬などに用いることは考えても、そのまさに落ちる瞬間に居合わせようという発想はまず持ちませんし、実際にそういう経験がある人はほとんどいないのではないでしょうか。
つまり、「土打つ一度きりの音」という出来事はほんらい人間社会には属していない、その外に広がる世界の一部である訳ですが、作者はあえてそれを「一度きり」と表すことで、グッと人間の側に寄せてみせているのだとも言えます。
それは何かと滞ったり澱んだりしていきがちな人間世界を刷新するべく時おりやってくる、外部からの霊威のおとずれ(音連れ)であり、人の力ではつかまえることもできなければ抗うこともできないような類いの“宇宙的な響き”なのではないでしょうか。
その意味で、10月24日に自分自身の星座であるしし座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、いったん虚ろになって器をからっぽにしていくためのきっかけを得ていきやすいはず。
精神科医としての北杜夫
作家であり精神科医でもあった北杜夫の『どくとるマンボウ医局記』(1993)は、彼の医師としての人間観察眼の鋭さや精神医療に対する真摯な態度が見て取れる名エッセイ集ですが、その中に精神科病院の畳敷きの大部屋を訪れる際の次のような描写があります。
その頃から、私は大部屋に入るときは白衣を脱ぐことにした。白衣を着ていると、やはり権威である医者が来たと思われて、それまで話しあったり独語をもらしていた者たちが、ぴたりと押し黙ってしまうことが多い。あたかもそれは、森の中で戯れたり鳴いていたりしていた獣や小鳥たちが、人間が来たというので急に静かになるのと同様であった。
私は白衣を丸めて枕にして寝そべり、患者たちと同じ姿勢をとる。しばらくは静かなままである。だが、やがて深い森は息を吹きかえす。こちらではごくわずかであった独語が、次第に虻の羽音ほどに高まってくる。あちらでは意味の掴めないおしゃべりが始まる。獣も鳥たちも、私を自分らの同類と認めてくれたのだ。
ここで森の獣や鳥たちに喩えられている精神科の入院患者たちは、確かに普通の日常的なコミュニケーションは成立しにくい代わりに、発する気配やムードには異常に鋭敏で、立ち姿や足音だけでこちらの意図を鋭く見抜いてしまったりするのですが、これは人間が世間の帳をくぐって、その外部に広がる「世界」へと踏み込んでいった時の‟感じ”とよく似ているのではないでしょうか。
その意味で今週のしし座もまた、神科医としての北杜夫くらい、鋭くも慎重に「世界」の空気を読み、そのかすかな気配を察していきたいところです。
しし座の今週のキーワード
宇宙的な響きをキャッチする