しし座
内省と開け
淋しさを見つめて
今週のしし座は、『露の世のもめを淋しく坐りをり』(清原枴童)という句のごとし。あるいは、面倒や厄介に巻き込まれるのを嘆く代わりに、ただ端座していくような星回り。
「露の世」「露の身」といった語は、秋の季語であるという以上に、この世にあることの露のようなはかなさやわびしさを表した言葉ですが、作者はそうしたしみじみとした思いを「もめ」、すなわち揉めごとや争いごとにおいて感じているのだと言うのです。
揉めごとや争いごとというのは、どんな組織においても人と人との関わりにおいて成り立つ以上決して無縁ではいられないものですが、高度ストレス社会と言ってもいい現代では、「不快な思いや我慢をさせられる相手などさっさと縁を切って然るべき」といった割り切りが加速化していたり、些細な不満や理不尽であってもSNSに書き込んで世情に問うたり、時には事実をねじ曲げてでも自分を被害者に仕立てて正当性を訴えたりするような向きが横行しているように感じます。
ただ、そうした世の風潮の中にあるからこそ、揉めごとや争いごとに関わった際に、掲句のように自己のうちにもある人間の生の根源的な淋しさを見つめて内省していたり、かと言って「露の世なのだから」と言って大上段から自身の人生観を人々に声高に押しつけることもなく、ただ「もめ」の煩わしさや醜さの隣りに、静かに坐っているような形で付き合っていきたいという作者のあり方はひと際新鮮な印象を与えてくれるのではないでしょうか。
その意味で、10月11日にしし座から数えて「組織性」を意味する6番目のやぎ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、人間関係の面倒や厄介に巻き込まれた時こそ、作者のような控えめな姿勢を思い浮かべてみるべし。
「意味の眼」を開いて
ハンセン病患者の心のケアに取り組んだ精神科医の神谷美恵子は『生きがいについて』という本の中で、「毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらない」といった言葉を絶するような深い悲痛の奥で、人がいかに「生きがい」を見出していくのかということについて、次のように書いています。
心はその葛藤のためにひきさかれて、いつまでも苛まれる傾向がある。自分を許したいけれども、どうしても自分を許せないという苦悩である。このような心にどうしても必要なのは、自分とは無関係な、権威ある他者からのゆるしの声である。その声は師を通して響いてくることもあろう。また経典から響いてくることもあろう。時にはどこからともなくしずかに響いてくる場合もある。
この言葉は、神谷自身の体験に基づいたものでもあったのでしょう。その意味では、「師」とは信頼できる人物や先生に限らず、思いがけぬ教訓を与えてくれる友人だったり顔見知り、自分が救う側のはずの患者の場合もあったはずです。また、「経典」も医学書や聖書に限定されないさまざまな書物(彼女はアメリカ留学時にはギリシャ文学を専攻していた)を意味したでしょうし、自然の懐に抱かれた時に何かをただならぬ感慨に打たれたこともあったはずです。
過ち多き存在ではあれど、そのままに許される瞬間がある。人や書物や自然との対話の中でそうした瞬間を経験していくとき、意味の眼は開き、人は「生きがい」と出会うことがあります。その意味で今週のしし座もまた、そうした「生きがい」体験を少しでも自分の元へと手繰り寄せていきたいところです。
しし座の今週のキーワード
時にはどこからともなくしずかに響いてくる場合もある