しし座
己を空しく
だんだん目が覚めていく
今週のしし座は、『川を見るバナナの皮は手より落ち』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、自分なりの「平凡さ」へと改めて立ち返っていくような星回り。
ここには奇跡のような景観や美しい自然だったり、人間の素晴らしさや愛おしさのようなドラマチックなものは何もありません。
俳句の世界では、一生のうち半分ちかくを旅に費やした芭蕉のように、その特別な生活ぶりがおのずと個性的な作風と結びつき、背景となっていくのだということが昔からよく言われてきましたが、では特別な生き方をしていなければ良い句は作れないのかと問われれば、作者は微笑でも浮かべながら静かに首を振ったことでしょう。
他ならぬ作者自身の生活ぶりも、『ホトトギス』という俳誌の編集や営業に携わり、日々発行所に通うような、いたって平凡な一市民のそれに過ぎませんでしたし、例えば「芭蕉の境涯と我等の境涯」という講演では、次のようにも述べていました。
普通の人間が普通の生活をして句を作ることにも価値がある
平凡な境遇にある我等が己を空しくし、宇宙自然を何ら屈折なしに観察することも意味の深いことであろう
その意味で、掲句の内容などは、まさに己を空しくした屈折なしの観察の賜物と言えます。そして、そういう句であればあるほど、頭の中でこしえらえた「俳句とはこんなものだろう」というありきたりな予定調和を突き崩すがゆえに、かえって身の上がひらけて、目が覚めたような思いをさせられていくのではないでしょうか。
同様に、8月4日に自分自身の星座(生命力の源)であるしし座で新月(刷新)を迎えていく今週のあなたもまた、だんだんと目を覚めていくような気持ちになっていくはずです。
死にたくなってからが本番だ
知っている人は知っている前提の話ですが、俳句というのは連歌・俳諧の発句や脇句、前句に対する付句のなかでの初めの五七五であり、明治以降、正岡子規が独り立ちさせていったものでした。
つまり、もともとは「“みんな”でやる詩」なのであって、著しく“個”の創作性や個性の発露に重きをおいている近現代の文学と見事なまでの対照をなしているのです。
同調圧力の暗い膜から何かとはみ出したり、意図せずズレたりしてしまいがち傾向のあるしし座の人たちにとって、複数人による連作形式をとっていた原初の俳句の在り様というのは最も抵抗を感じる文学形式の一つかも知れません。
しかし掲句の作者のように、そうだからこそ、俳句のような表現活動というのは、至極まっとうに生き恥を晒すには最良の近道だったのかも知れません。その意味で、今週のしし座は、自分というものを新生させていくためにも、自分を晒したり晒されたりといった、何らかの通過儀礼を経ていくことがテーマとなっていくでしょう。
しし座の今週のキーワード
生き恥を晒す