しし座
時をかける中年
時制をぶっ飛ばす
今週のしし座は、『遠くには遠き雨降る青すすき』(冨川仁一郎)という句のごとし。あるいは、遠くへと意識を飛ばすだけの感情の興りを感じていくような星回り。
「遠くには」という軽やかな口語から、「遠き雨」という文語が一転して用いられるところに句としての肝がある一句。それだけ「遠き雨」に感情が込められている訳です。
具体的には、そこでグッと目が細められ、顔に表情が出てくる。それは、その年が豊作となるかどうかを決定づける夏雨を待望する風情だったのでしょう。と同時に、眼の前の鮮やかな「青すすき」を介して、おのずと視線は無限の彼方にまで及んでいきます。
毎年くり返し、気が遠くなるほどのサイクルの積み重ねを通じて、私たちは土地の恵みに浴しながら、寄り添うように生きてきましたし、それはこれからもそうでしょう。つまり、ここでの「遠く」とは、物理的な遠方を指すだけでなく、時間の経過や記憶の継承の上でのはるか昔や遠い未来をも含んでおり、それゆえのロマンが掲句には宿っているのです。
そして、意識を遠くにまで運んでくれるのは言葉の意味でなくそのリズムであり、その意味でやはり掲句は「遠くには遠く雨降る」ではなく「遠き雨」でなくてはならなかった。
5月26日にしし座から数えて「中長期的なビジョン」を意味する11番目のふたご座に拡大と発展の木星が約12年ぶりに回帰するところから始まった今週のあなたもまた、発語の時制を大胆に過去や未来へと飛ばしていくことになりそうです。
コミニケーション・パブとしての俳句
俳句はある日ある時のかけがえのない一瞬が言葉で映し出された表現であると同時に、そこに作者の命のきらめきが込められることで詩となります。
松尾芭蕉はそれを「ものの見えたる光消えざるうちに言ひとむべし」と言いましたが、掲句はまさにそうした光が異様な瞬きや鮮烈さとともに刻印された句のひとつでしょう。
芭蕉にも、言わば「遠き雨」について詠んだものがいくつかありますが、例えば有名なものとしては『五月雨の降り残してや光堂』という句があります。「光堂」とは、平泉中尊寺の本尊である阿弥陀如来を安置した金色堂のことで、建立されたのは鎌倉時代。芭蕉が活躍したのはその500年後ですが、彼はその間の500年の時間の流れを瞬時に感じ取って句にしているのです。
つまり、この「光堂」とは、気の遠くなるようなはるかな過去から残された珠玉の時空であり、また自身が歩んできた道のりの先で待ち構えている可能性としての時空でもある訳で、両者と作者は大いなる循環のなかで一体化しているんですね。
今週のしし座もまた、今ここに在る自分にさまざまな来し方行く末が映し出されていくことになるかも知れません。
しし座の今週のキーワード
タイムリープ