しし座
転身の第一歩
存在を「夢」と読みかえて
今週のしし座は、マルセル・マルソーのパントマイムのごとし。あるいは、生という名の空虚な砂漠に、改めておのれの手で花や蝶を織り出していこうとするような星回り。
暗く静まり返った舞台。その闇の底から、マルソーの手が浮かび上がってくるところを想像してみよう。しなやかに、細かく、ふるえる指。その微妙な指の動きのなかから、突如、蝶が舞い上がる。マルソーの指が「胡蝶の夢」を見はじめたのだ。
むろん、観客はそれが指であることを知っている。だが、それが同時にどうしたって蝶であるとも感じている。感覚的な事実として、確かに目の前にひらひらと空を舞う蝶が現前しており、それは否定しようとしてもしきれない。
実在しない蝶、蝶の幻想を、あたかも実在する蝶のごとく眺め楽しむ観客たち。そのすべては舞台上だけの虚構の世界。しかし、人がふつう客観的事実と呼び、また事実そうだと思い込んでいるもの(“本物の蝶”の次元)もまた、本当は遊動してやまない言語記号の夢見る夢に他ならず、客観的に実在するものなどどこにもないではないだろうか。
少なくとも、老子や荘子などの東洋思想や大乗仏教ではそういう立場を取るし、その意味で「胡蝶の夢」とは決してただの個人的な妄想ではないのだ。
5月23日にしし座から数えて「創造性」を意味する5番目のいて座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、みずからの演技を通じてどんな蝶を現前させていけるのか、とことん追求していくべし。
転身の要求
ここで思い出されるのは、1900年に刊行され、当時まだ真面目な研究の対象とはされていなかった夢について、これこそ無意識の世界に至る王道なのだと論じてみせたフロイトの『夢判断』の一節です。
読者はどうぞ私の諸関心を読者自身のものとされて、私と一緒になって私の生活の細々した事の中に分け入って戴きたい。なぜなら、夢の隠れた意味を知ろうとする興味は、断乎としてそういう転身を要求するものだからである。
ここでわざわざ「転身」という言葉が使われていることに注目されたい。そう、夢というのは少なからず、夢見た者や夢を見させる者の「現実」に侵食し、絡み合い、時に現実そのものをギョッとするような仕方で書き換えてしまうのです。
例えば、夢は確かにふだん目覚めている時の人生に対する一つの解釈なのだと分かってくるに従って、目覚めている時の人生もまた夢の解釈なのだと分かってくるように。
今週のしし座もまた、そんな「転身」のはじめの一歩のタイミングにさしかかっていくのだと言えるかもしれません。
しし座の今週のキーワード
人生について何かを分かったふりをするのはやめよう