しし座
春は死角からやって来る
春と吐息
今週のしし座は、『ああ春はまだ暗がりに置くピアノ』(中山奈々)という句のごとし。あるいは、決定的<不在>を埋めるための呼び水を撒いていこうとするような星回り。
人気のない部屋の隅に取り残されたまま、どこかひんやりとしているピアノ。その佇まいに、まだ寒さの残る空気感のなかで縮こまりつつも、ほどなく体が開かれていく予感めいたものを宿した人間の姿を見出した一句。いや、その逆だろうか。
いずれにせよ、出会いと別れの季節であるはずの春は、少なくともここではまだその本番を迎えていない。役者も聴衆もそろっていなければ、ドラマティックにもなりようがないけれど、その代わり、ここには音楽が鳴りだす直前の沈黙があり、誰かがその前にやって来るかもしれない空白がある。そうして、それらを十分に感じ切ったとき、その<不在>を埋めるかのように、どこからか「ああ」という吐息が漏れだしてくるのだ。
ああ、桜が舞い散っているうちに、誰かと花見をしゃれこみたいな。
ああ、ずっと心に引っかかっていた相手と今こそ再会したいな。
ああ、もうすべてを投げ出してどこか遠くへ旅に出たいな。
そんな、一体どこから湧いてきたのか分からないような声なき声が、隠しようがないほどに溢れだしてきたとき、はじめて私たちの元に春はやってくるのかも知れない。
4月2日にしし座から数えて「訓練」を意味する6番目のやぎ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、声なき声を強く大きく、外へと聞こえるほどに反響させていくべし。
二律背反的感情
作家の日野啓三は、癌を患ったのち、病後はじめての旅行の帰り道、沖縄から東京へ向かう飛行機の上で、次のような光景を見たのだと言います。
窓から外を眺め渡しているつもりが、次第に自分の意識の奥を覗き込んでいる気分になる。雲間から輝き出る光は、いまや朱色より強烈なオレンジ色に近い。赤や朱色よりエネルギーの高い色だ。私の意識の雲海の奥には、これほどのエネルギーが秘められているのだ、とほとんど信じかける。(…)荒涼と豪奢で、神秘的で自然で、生き生きと寂莫で、畏怖と恍惚の想いを区別できない(『雲海の裂け目』)
ここで作者が見たこの世ならぬ光景は、人間である作者の存在そのもの、またはそれについての意識に直接繋がっており、根源的でありつつもどこかそれを突き放した目線で観察できるがゆえに二律背反的な感情を作者にもたらしたのでしょう。先の引用箇所に先立って「夢の中でさえこの質の色は見たことがない」とさえ書いています。
今週のしし座もまた、日野の場合ほど劇的なものではないとしても、自身の真ん中を垂直に貫くようなひとつの啓示がもたらされていくかも知れません。
しし座の今週のキーワード
魂の“裂け目”において