しし座
夢遊病者のごとく
無定形の不安
今週のしし座は、あえて「無定形な不安のうちにたゆた」っていたカントのよう。あるいは、自分の思い込んでいる自分をどこまでも相対化していこうとするような星回り。
私たちはどこかで無意識的に、「自分のことは自分がいちばんわかっている」と考えがち、と言うよりそうであってほしいと信じ込もうとするところがあります。こうした考え方は、そのまま近代ヨーロッパ哲学の底流に流れていたものでもあった訳ですが、その源流はおそらく人間が認識しうる対象の外を「物自体」として括弧に入れ、輝かしい理性を絶対視していった哲学者カントにまで遡ることができるのではないでしょうか。
しかし、ここで私たちはそうしたカントの業績の震源が、彼と同時代に生きた霊能力者スウェーデンボルグとの内的な対決にあったことを確認しておかなければなりません。
エマヌエル・スウェーデンボルグはストックホルムの大火災を予言したことで有名になった人物で、それまでこの種の言説に興味を抱かなかったカントはなぜか彼と手紙で交流するまで親交を深めた結果、カントは霊魂や霊界について、生涯で一度だけ私小説的告白的手法で書いた『視霊者の夢』という著作まで残したのです。
この著作を通じて非理性的な対象との対峙を余儀なくされたカントは、みずからの理性さえ疑っていくのですが、哲学者の坂部恵はそこにこそ真に根源的な思考があったのではないかと指摘しています。
「心があらかじめ偏して」いる可能性を留保し、したがって、みずからのどんな「正当化の根拠」をも警戒することを止めない、というこの著作をいろどる二重性の究極の底にある態度は(中略)きわめて積極的な貴重な本来の「知恵」あるいは、みずからをみずからたらしめるratio(理性ー根拠)をもあえて疑問に付し、夢とうつつの区別すらさだかでなくなる無定形な不安のうちにたゆたうことをあえてする、最もアラディカルな思考のあらわれと見なされるべきものではないのか(『理性の不安―カント哲学の生成と構造―』)
3月25日にしし座から数えて「試行錯誤」を意味する3番目のてんびん座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、「夢とうつつの区別すらさだかでなくなる無定形な不安のうちにたゆたうこと」をあえて試みていくことがテーマとなっていくでしょう。
泉鏡花の『龍潭譚』
行く方も躑躅(つつじ)なり。来し方も躑躅なり。山土のいろもあかく見えたる、あまりうつくしさに恐しくなりて
これは神隠しをテーマに道に迷った男児の不思議な体験を描いた泉鏡花の短編小説『龍潭譚』の一節であり、主人公が見渡す限り躑躅が咲く山を歩く下りで出てくる箇所です。あまりの美しさは幻想幻覚を引き起こし、自分がこの世ではないどこか見知らぬところを歩いているような気持ちにさせるもの。
そこでは何がおこるかわからない。まさに鏡花の世界は、日常を超えた美しさに入り込むことによって起こる、異次元体験なのでしょう。
それはこれまで当たり前のようにあった日常に突然穴があき、何かがその向こうに見えてくるという形で始まっていくものの、次の瞬間にはまた隠されてしまい、そこで私たちは何か見てはいけないものを垣間見たような気になってくるのです。
同様に、今週のしし座もまた、ダイナミックな時間的空間的揺らぎを体験していくことになるかも知れません。
しし座の今週のキーワード
夢の中を歩いているような気持ちになっていく