しし座
弱くあるがゆえのしあわせ
野に咲く菫のように
今週のしし座は、『菫ほどな小さき人に生まれたし』(夏目漱石)という句のごとし。あるいは、他人の視線を基準にしてしまう頭をリセットしていこうとするような星回り。
作者は春の野にかがんで菫(すみれ)の花を見ているのでしょう。あたたかい日だまりでは2月から咲いていますが、まだ風の強い2月のうちは風を避けるようにどの花も背が低く、たんぽぽなども茎が伸びてくるのは3月になってから。
この菫ほどの小さき人に生まれたいという思いのうちには、作者特有の人間嫌い、厭世観があったのかも知れませんが、ここは小難しく考えるよりも、菫を見ながら童話のような夢を見ているものと見ておきたいところ。
そう、現実が過酷になればなるほど、世間が世知辛くなればなるほど、こうしたささやかで小さなファンタジーが必要になってくる。自分にしかできない使命や責任を果たそうとするのは立派なことですが、それを無理にやろうとして病んでしまったり、意地を張った結果折れてしまってはつまらない。
例えば作家や俳優、音楽家のような人間もまた、病んでは逃避しての繰り返しですから、自然界の基準からすればほとんどがクズみたいなものです。その点、ただなんとなく生まれてきつつも、咲き頃をわきまえつつ咲いては散っていく野に咲く菫のような一生こそ、最高に幸福な存在なのかも知れません。
3月4日にしし座から数えて「生命力の現われ」を意味する5番目のいて座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、本当のしあわせとは何かということを一から考え直してみるといいでしょう。
贈与と負債の網目の中で
経済がグローバル化し、世界が単一の文化に覆い尽くされた「モノカルチャー」へまっしぐらになってしまった現代社会では、すべてを「交換」して生きていくことが可能とされ、経済的合理性や「コスパ」が推奨されて、それ以外のものを忘れさせられていきます。では、何を忘れさせられていくのか。
それはおそらく、自分たちが別のところから何か大事なものを「もらっている」という感覚や記憶でしょう。食料であれ、棲み処であれ、安心や自由や精神的成長であれ、それらは基本的に宇宙や地球からの“絶対的贈与”を受けることで成り立っているはずですが、人間だけが本来なら贈与であるはずの生命エネルギーの授受を「想定外」とか「ネ申」の一言で片づけ、そもそも「いただいた」という記憶の痕跡さえも失してしまっている。
その結果として、根本的に自分たちが理不尽にも「負債」を負わされているといった認識や、他の誰かや宇宙を傷つけたり、破壊してしまっても構わないはずだという感覚を抱くにいたってしまっているのではないでしょうか。
その意味で今週のしし座もまた、ちょうど春の野に菫を見つけた漱石のように、既に自分の一部であるところのものを改めて外部に発見していくことがテーマになっていくのだと言えるかも知れません。
しし座の今週のキーワード
いただきます