しし座
猫の尻尾の運動
中間の方法を取ること
今週のしし座は、『木がらしや地びたに暮るる辻謡ひ』(小林一茶)という句のごとし。あるいは、都会なら都会なりの隠遁術を実践していこうとするような星回り。
「辻謡い」は人の多く行き交う街道の交差地点などに立ち、歌をうたって銭を集める浪人の身すぎの生業で、作者はそれを見て、江戸の世に生きる道は、人気のない山里などで生きるよりもずっと険しいのだと痛感している訳です。
その痛感が「地びたに暮るる」という言葉に生きてくる。雑踏の巷に沈んでいく影の濃さや、吹き込んでくる木枯らしに耐えながら、あくまで軽やかに、生臭さをふりまかずに生きていくためには、何より“孤独”を愛することのできる精神の強靭ぶりを備えなければなりません。
もちろんそれは、単に人間嫌いの性格を指しているのではなくて、雑踏のうちに身を置きつつも、孤高を貫徹していくことであり、他人と深く交流せずとも楽しく生きていけるほどのたくましさ、ないしある種の「心の朽ち具合」を持っていけるかどうかの勝負とも言えるでしょう。
大仰に人を避けたり、無視したりすればかえって悪目立ちしてしまうし、かと言って四六時中にこにこしていたり、誰にもでもよい返事をしているのではとても身がもたない。要はその中間の方法を取ることができるかどうかが問われてくるのです。
13日にしし座から数えて「心的基盤」を意味する4番目のさそり座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、さながらネコが呼びかけろくに返事をしないかわりに、尻尾でもって反応する程度のつれなさを心がけていくべし。
ネコの足どり
夏目漱石は『吾輩は猫である』の中で、「のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする」と書いていましたが、例えそうだとしても、ネコはそのことを即座に相手に伝えたり、何があったかを直接たずねるようなことはまずしません。
その代わり、いったんは尻尾を振る程度ですませておく。ただ、それが2度3度と続いた場合は、抜き足差し足忍び足でそっと近くまでいって、何度か通り過ぎてから、少し離れたところで狸寝入りをしたりする。
そして、半眼に閉じた眼をわずかに開けることさえせず、寂然たる姿勢のまま日向ぼっこを楽しむ。そうしてあとは、相手に反応するかどうかは、尻尾に任せてしまう。
要は、どこから悲しい音がしているのか、見抜いていながら、分かっていながらも普段知らんぷりしておく訳です。先の「心の朽ち具合」というのも、それくらいになれれば立派なものです。
今週のしし座も、ひとつそんな猫になったつもりで、内から外から、そっと誰かの心が出している悲しい音にしらんぷりを決め込んでいきたいところです。
しし座の今週のキーワード
猫は現代人の心の師匠なり