しし座
余計なことは考えず
良く食べることは、良く生きること
今週のしし座は、『江戸の空東京の空秋刀魚買ふ』(摂津幸彦)という句のごとし。あるいは、日本人の過去の経験と無限の知恵を信じていこうとするような星回り。
秋が深まってくると、どこまでも抜けるような青空が天高く広がっていく。そして、この空は江戸も東京も同じだったに違いない。江戸の人々も、自分と同じように秋空の下で、こんな気分で秋刀魚を買って食べていたのだろうか。そう思うと気分がよくなってきたので、今夜は秋刀魚(さんま)を買ってご馳走にしようではないか、と。大意としては、そんなところでしょうか。
秋刀魚の脂は江戸時代は、灯火用にも使われていたのだという。それが『養生訓』が「菜中の上品也、つねに食ふべし。香気を助け、悪臭を去り、魚毒をさり」と大根おろしをすすめたあたりから、大量に獲れる秋刀魚が見直され、庶民の食事にのぼるようになったのだとか。
そう考えると、日本人が2000年近く食べ続けてきた米には劣れども、秋刀魚もまた数百年にわたって食べ続けられてきた国民食だという実感が湧いてくるはず。都市化が進み、自然の少なくなった現代でも、庶民の四季の食の楽しみ方はそこまで変わらないもの。
9月7日にしし座から数えて「長期的な潮流」を意味する11番目のふたご座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、機能性や合理性ということはいったん脇に置いて、日本人が大自然の一部として生きてきたという長い長い営みの中にみずからを投げ入れてみるといいでしょう。
野口晴哉の「養生」
「整体」という言葉の生みの親でもある野口晴哉は、単に物理的に体をよくすることだけを考えていた訳ではありませんでした。例えば、「雨と風」という断章の冒頭では次のように述べられています。
人間の生きているのは苦しむ為だ。その苦しむことが楽しくなるまで、生きていることが養生というのだ。(中略)人間の向上とは苦しむことを拡げることだ。(『偶感集』)
これはある種の逆転の発想であり、野口は転ばないよう、失敗しないよう賢い頭が体をコントロールないしマネジメントしようとするほど、その知恵のためにかえって決断と実行を失うことで人として眠ってしまい、そうしてる間に気が抜けてしまう、つまり不養生に陥るのだと指摘します。
人間には先など見通すことはできず、自分の人生も、世の中のことも知り尽くすことはできない。そのことを本当に判った人だけが、闇のなかでも光を求めず、また頼らない。人間にできるのは、毎年毎年、四季ごとに旬のものを美味しく食べ続けることくらいであり、それでいいのだ。
今週のしし座もまた、「苦しむことが楽しくなるまで、生きていること」を第一に考えて、養生に励んでいくべし。
しし座の今週のキーワード
頭を賢く働かせることより、体を気持ちよく自然に馴染ませていくこと