しし座
まなざしの反転
見えないそこを見るために
今週のしし座は、『白魚や黒き目をあくのりの網』(松尾芭蕉)という句のごとし。あるいは、シンと静まりかえった暗闇のなかで心の眼を開いていこうとするような星回り。
ここでは「白魚」は作者である芭蕉や、私たち自身の喩えになっています。「のり」とは「法」、すなわち自然界を貫いている自然法則や、物事を実際に動かしていく際に依拠すべき根拠や基準や説明としてのロゴスのことを指しています。
そして、「網」とは私たちが周りの世界の出来事(例えばTwitterのタイムラインに流れてきた他人のつぶやきや芸能人の不祥事など)に何かしら意味をつけて分節し、何かを得よう、すくいとろうとして作られる心の構えや、さまざまな思念のネットワークのようなものとして解釈できるはず。
この網はあくまで言葉の意味などで切り取られた“仮そめのもの”であって、自然や世界の実体を表すものではありません。ところが、そうであるにも関わらず、私たちはどうも自身でこしらえた「のりの網」を本当にあるものと勘違いして、その網をたどったり、たぐり寄せることで何かを得よう、所有しようとします。
それに対して、「黒き目をあく」という表現には、自分がそのように勘違いして世界を見ていることに気付いて、真実を見つめようとする心の眼が開いている作者自身の姿が示唆されているのです。
そのように物事を見られるようになるには、普段している仕事などのルーティンに惰性的、習慣的に従って日常生活全般を見ているだけではまず難しいでしょう。世阿弥の言葉を借りて言えば、当たり前の日常を惰性から脱して、珍しい、面白い、花のようだと感じながら見ることができたとき、初めて私たちは「黒き目をあく」ように見ることができるのです。
26日にしし座から数えて「基底にあるもの」を意味する4番目のさそり座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、主観と客観を超えた“そこ”を自身自身で経験していかんと試みていくべし。
ヴェンダースの二重画面法
かつて『ベルリン・天使の詩』(1987)を撮ったヴィム・ヴェンダースは、映画の中で死者でもある天使たちとこの世の事物との交流という設定で、画面いっぱいに死や死者の気配を溢れさせました。そこでは、死者(天使)たちはまるで寄り添うようにこの世に浸潤し、生者のかたわらに佇んでいるのですが、そのことが初めて明らかになる図書館のシーンなどは、圧倒的でした。
そしてそんなヴェンダースの映像には「二重画面法」という秘密がありました。①白黒画面(死者から見た沈痛かつ荘重なこの世の風景)と②天然色画面(この世に生きる時に初めて開けてくる風景。こちらは異様に明るい)とを頻繁に交替させていったのです。
そうして両者のまなざしが交錯していくうちに、映画を見ている側もまた、この世に帰還する死者(天使)たち同様に、奇妙なまなざしの反転を余儀なくされていく。すわなち、ふだんこの世に没頭して生きている生活者のまなざしが相対化され、今一度この世この生の最大限の肯定性を見つめ直す思考回路が準備されていくのです。
そしてそれは、先の「黒き目をあく」という体験とも通じていくのではないでしょうか。今週のしし座もまた、そうしたまなざしの交錯が体験させてくれる鮮烈さをどこか追い求めていくところがあるように思います。
しし座の今週のキーワード
まなざしの中に死者を宿す