しし座
迷子入門
奇妙な静寂のその先で
今週のしし座は、『The Exchange』という映画の主人公のごとし。あるいは、わずかな齟齬(そご)によって一気にすべてが浮き彫りになっていくような星回り。
エラン・コリリン監督の『The Exchange』(2012)には、なにか分かりやすく特別な出来事が起きたり、巧妙なプロットがある訳ではありません。博士課程に在籍する大学院生が忘れものを取りに家に戻ると、1日のその時間帯に眺める自分の部屋がどこか異質なものに感じられたという体験をするのです。
こうした体験自体は、例えばいつも職場で忙しく働いている時間帯に、自宅のリビングのソファーに呆けて座っている時に感じる、居心地の悪さを通り越した“奇妙な静寂”として経験したことのある人も多いのではないでしょうか。
慣れ親しんだ世界から、決定的に切り離されてしまった主人公は、その後窓の外にホッチキスを放り投げたり、茂みの中にじっと立ってみたり、アパートの地下室の床に寝そべったりといった行為に及んでいく。彼はもはや「日常生活を営むふつうの人」ではなく、周囲に広がる光景やモノ、物理法則に初めて遭遇する宇宙人のようになってしまったのです。
それは言い換えれば、現実の枠組みの中から何かをのぞくのではなく、現実そのものに目を向けるようになったことで、方向感覚を見失い、知らず知らず惰性的になってしまっていた注意の向け方や好奇心を解放させられたのだとも言えます。
6月11日にしし座から数えて「ルーティン」を意味する6番目のやぎ座へ「死と再生」を司る冥王星が戻っていく今週のあなたもまた、モノや人への道具的な理解(あるものをその機能の生産物として理解すること)から離れて、それらのモノや人が存在するという深遠な事実そのものと向き合っていくことになるかも知れません。
氷を割るための一撃
プルーストの『失われた時を求めて』というとどうしても追憶の日々を想う甘ったるいノスタルジー文学というイメージが先行しますが、死後に出版された未完成のエッセイ『コントレサントブーブ』では、みずからもまた深く関与している芸術という営みについて、次のように語られています。
ぼくたちが行うことは、生の源[原初の生]へ遡ることだ。現実というものの表面には、すぐに習慣と理屈の氷が張ってしまうので、ぼくたちはけっしてなまの現実を見ることがない。だからぼくたちは、そうした氷を全力で打ち砕き、氷の溶けた海[現実]を再発見しようとするのだ
だとすれば、プルーストにとってマドレーヌや石畳の道の感触というのは、氷を割るための一撃であり、『失われた時を求めて』という作品を書くことは、氷の向こうに広がるありうべき現実へ戻っていくための必死の作業だったのでしょう。
『The Exchange』の主人公とプルースト。この対照的なモデルは、片方が唐突に氷が割れて海に投げ出された泳ぎ下手の人間だとすれば、もう片方はドライな氷(陸)の上に打ち上げられた人魚のようなものであり、同じ実体の2つの現われとも言えるかも知れません。
今週のしし座もまた、どっちの成分がより強いにせよ、やはり「氷(ふつうの日常)」を上から下から打ち砕いていくべく、自分なりのルーティンを再構築していくべし。
しし座の今週のキーワード
ガリガリガリガリガリクソン