しし座
「一」を育てる
大風呂敷を見つける
今週のしし座は、仏さまの手のひらの上で転がされていこうとする人のごとし。あるいは、些細なものの中にこそ大いなる虚構を感じとっていこうとするような星回り。
今話題のChatGPTというのは、問われた事柄に関するネット上の既知の諸要素から、部品を組み立て直すようにして、それらしい一続きのテキストを生成するものであり、いわば機械論的な「多の一」の思想の結晶と言うことができます。
しかし、これだと本当には新しいものは生み出されてきません。だから、ChatGPTが流行れば流行るほど、さまざまな情報の大元には1つのトータルな、さまざまな矛盾や対立をはらんだ全体がないといけないという「一の多」みたいな逆転の発想が必要になってくるはずで、じつは日本にはもともとそういう発想が広く深く生き続けてきた訳ですが、例えば仏教学者の鎌田茂雄は次のように述べています。
名もなきもの、微小なるもののなかに無限なるもの、偉大なるものが宿っているという「一即多」の思想は、日本人の生活感情にもぴったりするものがあった。野に咲く一輪のスミレの花のなかに大いなる自然の生命を感得することができるのは、日本人の直感力による。華道や茶道の理念にもこの精神は生きているのである。(…)たとえば森のスミレの葉の上に一滴の露が宿っている、そこに朝日が輝いてキラッと映る、この一滴の雫のなかに全宇宙が映し出されるとする。(…)自然科学的な目で見れば何も映らない。露はどこまでも露で、日が当たれば溶けるだけである。H2Oが分解したというようなもので、何も映らないのだが、すぐれた直感力で見ると、そういうものが見えてくるのである。(『華厳の思想』)
こういう「一の多」の「一」というのは、先取りされた虚構とも言えますが、そういう現実をそっくり包み込む大きな虚構を生々しく感じ取るプロセスが止まってしまうと、機械と生命とか、主体と対象といった、一方が他方に従属する二項対立しか残らなくなってしまうし、それこそがグローバリズムがもたらしつつある現代人の現実でもある訳です。
3月21日に春分、そして22日にしし座から数えて「直感」を意味する9番目の星座であるおひつじ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした現実世界を超える発想を、自分なりに見つけ出していきたいところです。
直感の生まれ方
例えば、数学といえば論理的な学問の代表のようなイメージがありますが、世界的な数学者・岡潔(おかきよし)は、数学の研究を進めていく上で最も大事なのは「情緒」なのだとしばしば語っていました。
彼は数学の難問に取り組んでいた2時間半のあいだに自分の頭の中で起こっていたことについて、「全くわからないという状態が続いたこと、そのあとに眠ってばかりいるような一種の放心状態があったこと、これが発見にとって大切なことだったに違いない」(『春宵十話』)と述べています。
本当にクリエイティブな数学上の発見は、論理の組み立てからではなく、まるでどこからともなく生えてくる葦のような直感から生まれるのであり、彼はさらに次のように続けています。
もうやり方がなくなったからといってやめてはいけないので、意識の下層にかくれたものが徐々に成熟して表層にあらわれるのを待たなければならない。そして表層に出てきた時はもう自然に問題は解決している。
今週のしし座もまた、無意識は意識よりも強いのだということを改めて思い出し、その成熟を待っていくことがテーマとなっていきそうです。
しし座の今週のキーワード
葦の花言葉は「考える」「哀愁」「音楽」