しし座
無明への抵抗
執着の向こう側へ突き抜ける
今週のしし座は、ケアラーとしてのブッダのごとし。あるいは、誰かに助けてもらおうとするのではなく、みずからを救おうとする人とこそ関わっていこうとするような星回り。
伝説的な精神科医であった加藤清は、かつて「宗教体験と心理療法」と題された精神科医の平井孝男との討論の中で次のように語っていました。
頭を何回も壁に打ちつけていたある緊張病性の分裂病男子(※)ですが、この人はすべての医者から回復の見込みがないと言われてたんです。僕が受け持ったときもそうした行動があったんですけれど、その自罰的衝動行為の中に深い無明感情や罪業感を感じて、僕は患者に向かって思わず土下座してしまったんです。でも、それがきっかけで治療が展開し、5年後には退院、50歳で結婚して高校教師となりました。彼は、自分のことを阿修羅だ―人間ではない―と感じていましたが、そういって自分の無明感情を表現していたんでしょうね。(※精神分裂病は2002年に統合失調症に病名変更されています)
加藤はここで、人間存在そのものが背負わされている宿命としての「無明性」と、そこから派生してくる「無明感情」とを分けた上で、「無明」とはみずからの苦しみを否認し、さらには苦しみの原因である執着ということについても目を逸らしている態度のことを言い、「無明感情」とは「自分は救われない」「生まれなければよかった」「普通の人間ではなくなった」といった具体性を伴った苦悩の感情のことだと述べています。
さらに、総じて統合失調症患者は無明感情が強く、無明そのものも認識できないのに対し、健康人は無明感情は薄い反面、「無明に対する積極的態度を取りうる健康性はある」とも。そしてこの両方、すなわち深い無明感情と無名性の積極的認識の両方を徹底していったのがブッダであるとし、加藤はそんなブッダのことを「無明そのものを直視し、それを突き抜けて明の世界に突き抜けていった人」なのだと表現しています。
2月20日にしし座から数えて「感情の奥の奥」を意味する8番目のうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、結んだ縁を通して明の世界へ突き抜けんとすることや、誰か窮地にある人の質的転換を見届けていくことがテーマとなっていくでしょう。
割りきったらそこでおしまい
自然に存在するものにケア的に付き合っていこうとすると、そこには必ず過剰なまでの余剰部分が立ち現れてくるものです。例えば、何かが「まるい」ということを表すためには、円周率の小数点以下に永遠に割り切れないまま数を羅列し続けねばなりません(有理数ではなく無理数になる)。
それは確かに骨の折れる営みではありますが、それ自体が自己中心的で破壊的な、無明の中にみずから閉じていこうとする人の性(さが)への洗練された抵抗であり、そうした抵抗によってぎりぎり確保された余剰部分こそが、多様な「人として在り様」を肯定していく訳です。逆に、もし円周率を“3”に割り切ってしまったら、世界はその美しさを半減させ、人々の想像力は急速に退化していくはず。
その意味で、人生は必ずしもきれいに割り切れることばかりではないし、むしろ容易に割り切れず、説明することさえできないような出来事があるからこそ、それはいきいきとしたものとなるのだということ自他ともに許容していくことこそが、先の「質的転換」の第一歩となるのではないでしょうか。
今週のしし座もまた、まだまだ予測不可能で、創造の過程にあるものと見なすべく、自分や相手の中に、割り切れない余剰部分を作りこみ続けてべし。
しし座の今週のキーワード
創造性とは意味不明性