しし座
鳴動する倫理
平地を睥睨するもの
今週のしし座は、『狼生く無時間を生きて咆哮』(金子兜太)という句のごとし。あるいは、大いなる「いのち」のうねりようなものに圧倒されていくような星回り。
山々に囲まれた秩父盆地に生まれた作者のなかでは、「狼」は時間を超越している存在として郷里の「土」の上に生きているのだという。
そして、掲句のように、「いのち」そのものとして時に咆哮し、時にねむり、その以外には「いささかも妥協を知らず(…)あの尾根近く狂い走っ」ているのだと夢想されていく。
明治時代の半ば頃には絶滅したと伝えられていますが、今も生きていると信じている人も少なくありません。おそらく、そうした人たちの多くは作者と同様、みずからの産土を思うとき、そこにおのずから疾駆し咆哮する「狼」の姿が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
特に人の気配が地上から家々へと引っ込んで、大地が静まり返り、山の気が澄んでいくこの時期には、彼ら狼たちは原始さながらに土の上に立ち、山の頂きからじっと平地を睥睨しているような気がしてなりません。
その意味で、1月7日にしし座から数えて「不思議な霊感」を意味する12番目のかに座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、人間界の常識や尺度を超えたところで生きている「いのち」に触れていくことができるかも知れません。
泉鏡花の『夜叉ヵ池』
泉鏡花がはじめて書いた戯曲であるこの話では、異界と地上世界とが同一空間においてうすい‟皮膜”に隔てられつつ両立しているのですが、あるきっかけをもとに両者が接触し、地上世界は大変なことになっていきます。
度重なる水害を終息させるため近くの山中にある夜叉ヶ池に水神を封じ込めたという歴史をもつある村では、毎日昼夜に三度鐘を鳴らさなければならない決まりになっていたのですが、我欲のために村人たちがこの約束を無視するや、人間側の背信に腹を立てた水神が池の堰をきって村中を洪水の底に沈めてしまうのです。
この話の主人公はある意味で「倫理」であり、その象徴としての“皮膜”であると言っていいでしょう。人間たちの倫理性が破綻すれば、皮膜は突き破られて異界の存在である水神などの自然精霊が美しくも残酷な裁きをくだす。そこで人間は、主人公たる倫理の傍らにつねにありながらも、どこかでその存在を疎ましく思っていたり、ひょんなことから裏切ってしまったりする‟弱き存在”なのです。
もしかしたら、現在も「狼」の存在を多くの人が今もなお信じているのも、人間の弱さをどこかで痛感できているからなのかも知れません。その意味で、今週のしし座は、自分の中にまだまだ潜んでいる弱さを、改めて実感していくことがテーマとなっていきそうです。
しし座の今週のキーワード
決して破ってはならないものとしての皮膜