しし座
泥仕合の必要性
「小賢しさ」を超えて
今週のしし座は、ペンテウスを陥れたディオニューソスの一言のごとし。あるいは、どうしてもコントロールできないものがあぶり出されていくような星回り。
古代ギリシャの三大悲劇詩人のひとりエウリピデスの戯曲『バッコスに憑かれた女たち』では、どこからともなく現われては女たちを家から飛び出させ、山野を疾走させた葡萄酒と酩酊の神ディオニューソスを取り締まろうとした、国で最も理性的な人物である王ペンテウスを、ディオニューソスが言葉巧みに運命的悲劇に誘導する様子が描かれています。
例えば、今からでも丸く治める手はあると呼びかけるディオニューソスに対し、ペンテウスが改めて率いてきた軍隊に明示て攻撃させようとしたその時、次のように語りかけるのです。
ディオニューソス:よろしい。あなたは女たちが山中で並んで腰かけているところを見たくはないのですか。
ペンテウス:ぜひとも見たい。金をいくら積んでもよい。
ディオニューソス:どうしたのです。激しい欲望に陥ってしまった。
ペンテウス:もちろん女たちが酒に酔っていたら正視するのはつらかろう。
ディオニューソス:とはいえ、つらいことでも喜んで見たいのですか。
ペンテウス:私は見たいのだ。ただし樅の木陰に音も立てず身を潜めて。
誰よりも理性的であったはずのペンテウスは、それゆえにおのれの内に屈折した欲望を抱えており、ディオニューソスにそこを突かれてしまった訳ですが、それは偽善的純潔や小賢しさなどは、暗い自然の前では露ほども通用せず、むしろ多くの場合、その愚かさや異常さを暴かれてしまうことと相通じているように思います。
その意味で、8月12日にしし座から数えて「絶対的な他者」を意味する7番目のみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、内部からであれ外部からであれ、暗い自然からの襲撃を、みずから受け入れてしまうようなところがあるでしょう。
異種混淆の宴
ここのところ感染者数が各地で過去最大値を記録するなど、改めてわれわれ人間とウイルスが深くつながることで、「他の生物との合体や遺伝子の交換を繰り返すようなごった煮」状態が実現しつつあります。
腸内細菌や皮膚の常在菌など、人間が他の生物から厳密には独立していない以上、このような侵入はある意味で不可避の出来事なのですが、生命学者の中屋敷学は『ウイルスは生きている』の中で、そうした遺伝子の「ごった煮」状態は生命の進化においても不可欠だったのだとした上で、次のようにも述べています。
そこに他者と切り離した「自己」のような「純度」を求めるのは我々側の特殊性であり、生命に独立性を持ち得るものがあるとしたら、それは「我思う、故に我あり」とした我々の「観念」だけではないのかと思う。
その意味で、もしかしたら私たち日本人は、人間側の確固不変の独立した自我を打ち崩した先に広がる新しいリアリティへと開かれていく先頭に立っているのかも知れません。同様に今週のしし座もまた、どうしても普通の人以上に堅固になりがちなリアリティを打ち崩し、リアリティの書き換えを行っていくには絶好のタイミングと言えるでしょう。
しし座の今週のキーワード
「我思う、故に我あり」など妄想にすぎない