しし座
為すから転身
壁をすり抜ける
今週のしし座は、「雨ふる、ゆえにわれ在り」という言葉のごとし。あるいは、これまで外れることのできなかった文脈からスルリと抜けていくような星回り。
外で雨が降っている。自分を忘れて、その雨の音に聞き入っている。このとき、自分というものはほとんど意識されませんし、ただただモニターに「ふっている雨」が映り続けている状態がある訳です。
ところが、あるとき、ふとわれに返る。その刹那、「さっきまで自分は雨だった」ということに気づく。つまり、主体の側が以前とは微妙に、しかし決定的に変わってしまうような形の自覚がもたらされたのであり、これが本当の意味で「わかる」という経験なのだと言えます。
自分を保ち続けているままではわからなかったし、かと言って、自分を忘れているままでもわからない。自分を忘れている状態から、自分を思い出す状態に還るときに、はじめて何かが「わかる」のだと。
こうした理解のことを、日本語特有のニュアンスにおいて、自他の区別を超えて天地自然と「情を通わせ合う」という言い方をしてきました。そうした状態にあるとき、私たちはエゴに固着した心とは異なり、ある意味で、自他の壁をすり抜け、環境のいたるところに情が湧き上がる糸口をひろげていくのです。
その意味で、6月29日にしし座から数えて「茫然自失」を意味する12番目のかに座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、ふとしたタイミングにそんな風に「わかる」瞬間がいつも以上の強度を伴って訪れることでしょう。
夢は転身を要求する
ここで思い出されるのは、1900年に刊行され、当時まだ真面目な研究の対象とはされていなかった夢について、これこそ無意識の世界に至る王道なのだと論じてみせたフロイトの『夢判断』の一節です。
読者はどうぞ私の諸関心を読者自身のものとされて、私と一緒になって私の生活の細々した事の中に分け入って頂きたい。なぜなら、夢の隠れた意味を知ろうとする興味は、断乎としてそういう転身を要求するものだからである。
ここでわざわざ「転身」という言葉が使われていることに注目したい。そう、夢というのは少なからず、夢見た者や夢を語る者の「現実」に侵食し、絡み合い、時に現実そのものをギョッとするような仕方で書き換えてしまうのです。
例えば、夢は確かにふだん目覚めている時の人生に対する一つの解釈なのだと分かってくるに従って、目覚めている時の人生もまた夢の解釈なのだと分かってくるように。
今週のしし座もまた、少なからずそんな「転身」を遂げていくことが求められているのだと言えるかもしれません。
しし座の今週のキーワード
「わかる」とは自分が変わってしまうこと