しし座
さみしさの響きが胸にこだまする
琴線に触れるということ
今週のしし座は、『蟇(ひき)歩くさみしきときはさみしと言へ』(大野林火)という句のごとし。すなわち、言葉以前の実感が堰を切ったように高まり溢れていくような星回り。
「蟇」はヒキガエル、ないしガマガエルのこと。容貌怪異にしてその動作の鈍重さから、妖怪のように扱われることもありますが、実際、夜道のまんなかあたりに、通行人をふさぐようにこいつが鎮座しているのを目の当たりにすれば、思わずギョッとさせられるはず。
しかし、そんな「蟇」がのそりのそりと歩いている様に接して、作者は「さみしきときは…」とそっと声をかけては、励ましている。
なるほど、こちらから追っても逃げることもせず、声も上げずにのっそり地を這っている様子は、言われてみれば確かにさみしさにジッと耐えているようにも思えます。
作者はきっと、そんな物言わぬ「蟇」の姿に、自身の胸に積もり積もった「さみしさ」や、それに代わる言葉にできない思いを重ねていたのでしょう。あるいは、作者は自分自身を励ますつもりで、誰からも疎んじられがちな「蟇」に吸い寄せられるように近づいていったのかも知れません。
同様に、6月7日夜にしし座から数えて「肌の実感」を意味する2番目のおとめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、どうしようもなく惹きつけられるものを見つけたら、迷うことなく自分の方から近づいていくべし。
舌を使って腑に落とす
「さみしさ」などの複雑な情報を処理をしている器官というと、どうしても頭脳や胸を意識してしまいがちですが、おそらく人間のもっている最も混合的な器官は耳か舌でしょう。
例えば、カレーを食べた後にアイスを食べたり、餃子を食べた直後に梅干しを食べたりできるように、どれだけで人見知りしない人であっても、舌が混合する許容度やスピードにはまったく敵わない。これは理屈ぬきに人間というものがそうできてしまっている訳です。
そしてこのことは「まる」とか「round」とか発音しているときの舌を改めて意識してみると、そこでもやはり理屈抜きに舌のかたちが意味そのものを実現してしまっていることがわかります。これは試しに「しかく」とか「square」と発音してみると、舌がかちかち、がちがちしてちゃんと対照的になっていることからもわかるかと思います。頭で考えたり分かったりする以前に、身体の方で丸いものとしかくいものとを区別しているんですね。
ところが、今の私たちはどういう訳か「vision」と言えば「思想」のことであったり、視野とか視点とか、「~して‟みる”」など、視覚的な比喩や視覚的な言葉のなかで、知的な物言いを再構成させる傾向にあります。
その点、今週のしし座は、頭や胸よりも舌をつかって、すなわち、その響きや舌触り、咥内に広がる味わいを通じて、自身の実感や気持ちを腑に落としてみるといいでしょう。
しし座の今週のキーワード
理屈抜きで混ざりあってしまうものとしての実感