しし座
透明人間あらわるあらわる
ポツネンとした自分
今週のしし座は、「みんな」や「世間」からの逸脱。あるいは、ありうべき未来の自分を放置してしまうのを回避していこうとするような星回り。
哲学者のハイデガーは主著である『存在と時間』のなかで、世の中のほとんどの人は、当たり障りのない「世間話」に日々のめりこみ、コロコロと興味や関心を変える「好奇心」に突き動かされながら、たえず自身の立場や意見を明確にしない「曖昧さ」を保持することで、「みんなもこうしている」ということに照らし合わせて自分の意見を語り、行動しているのだと述べていました。
ハイデガーは「みんな(ハイデガー風に言えば世人)はどこにでもいる」が、「決断を迫られるときには、みんなは既につねに姿を消してしまっている」のだと言いますが、これは「わたし」の代わりに決断の責任を引き受けてくれるはずの「みんな」とは、結局のところ、誰でもない誰か、すなわち実在しない透明人間のようなものであって、実際のところ引き受けるべき責任からするりと逃れてしまっているのだと言うわけです。
たとえば、インターネット上で「みんなが叩いてるから便乗しただけ」といった、「みんな」の文脈に無意識に加担してしまうといった事態に、私たちは日々アクセスしており、もし万が一そうした文脈に同調することをやめようとすれば、たちどころに「不安」に襲われ、その闇の中にポツネンと取り残されてしまうはず。
その意味で、30日にしし座から数えて「アジール」を意味する11番目のふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そうしたポツネンとした自分がいたとしても、「それでいいんだよ」と自分で自分の背中を押してあげられるかどうかが問われていくでしょう。
aikoの『キラキラ』
「あたし」は「あなた」と一緒に住んでいて、「あなた」の仕事の帰りを待っている。そんな何気ない日常の描写から始まるこの曲は、次のくだりで見事に裏切られます。
羽が生えたことも 深爪した事も
シルバーリングが黒くなった事 帰ってきたら話すね
その前にこの世がなくなっちゃってたら
風にでもなってあなたを待ってる
そうやって悲しい日を越えてきた
ここで示されているのは、たとえ世界が滅んだとしても「あなた」を待ち続ける、という「あたし」の態度です。こんな風に「待つこと」は、あえて「あたし」と「あなた」に待ち受ける不安な将来にじっと注意を向け続けることに他ならず、それは「世間話」に取り合わず、「好奇心」にも流されず、可能な限り「曖昧さ」をみずからの態度に持ち込まないことでもあるはず。
そうしていつかきっとやってくる未来に備え、自分のなかの「みんな」や「世間」に属したいという欲望を減却させ、ポツネンとした「あたし」を肯定し続けている訳です。
今週のしし座もまた、ただ目の前の出来事や一時的な感情にばかり気を取られてしまうのではなく、目を向けるべき遠くの「あたし」に目を向け続けてみるといいでしょう。
しし座の今週のキーワード
自分の背中を見失わないように