しし座
創造に伴う深い憂鬱
不完全な神としての私たち
今週のしし座は、人間がつくりだした「怪物」のごとし。あるいは、みずから創った作品からの問いかけをきちんと受け止めていこうとするような星回り。
メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』の物語は、ビジュアルがもつ強烈なイメージから、近現代人にとっての怪物像を決定づけた歴史的作品ですが、その一方で、物語ではフランケンシュタインとは怪物そのものの名前ではなく(彼は名無し)、それを作った科学者の名前であり、その意味でこの作品は「怪物とは何者か?」という重要な問いかけを今もなお読者に向けて発し続けているのだとも言えます。怪物は直接こう訴えます。
おまえがおれを創ったのだということを、忘れるな。おれは、おまえのアダムだぞ。まるで、何も悪いことをしていないのに、おまえに追い立てられて、喜びを奪われた堕天使みたいじゃないか
怪物にとって、フランケンシュタインとは「創造主」であり、「神」だったのであり、それに対して自身の立場は聖書の説く最初の人間であるアダムとサタン(悪魔)の両方を兼ね備えたものでした。しかし、この物語の神は、アダムがひとりぼっちにならないようにと伴侶を創り与えた聖書の神とはまったく異なり、いったん完成しかけた女の伴侶を破壊したばかりか、怪物に「おまえと私の間には、つながりはありえない。我々は敵同士なのだ」と言ってはばからず、そうした仕打ちが怪物を凶悪化させてしまうのです。
同様に、24日にしし座から数えて「創造性」を意味する5番目のいて座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、創造(クリエイティブ)という行為にどうしても入り込んでしまう無意識的な怖れや不安と改めて向き合い、少しでもその正体を看破していくことがテーマとなっていくでしょう。
「いぶせ」という言葉
創造には憂鬱がつきものですが、日本では古来から歌人たちが気分が晴れないこと、気づまりなこと、なんとなく悲しいことを「いぶせ」(憂鬱)と名付けて歌に詠んだばかりか、源氏物語の桐壺帝の憂鬱を「なほいぶせさを限りなくのたはせつるを云々」とあらわしたりもしてきました。
ところが、20世紀の精神分析学者たちがそうした「特別な心情」を正当化できない悲嘆、すなわち「うつ(メランコリー)」と名づけ、1つの精神障害として分類ないし治療の対象として規定していく中で、次第にその異常性ばかりが強調されるようになりました。
では「いぶせ」もまた薬を投与して治せばよかったのかと言えば、そういうものではないでしょう。もしそんなインスタントな処方箋で先に挙げた怪物の心情やその訴えをしりぞけてすますなら、古今東西の文学の大半は精神障害の単なる記録か、頭のおかしい者たちのでっちあげた妄想だったということになってしまいます。
つまり、精神分析は「深い悲しみ」を「精神疾患」にしてしまうことで、人々が正当に悲しみに浸る権利やその豊かさを奪ったのではないかという問題提起もできるはず。
今週のしし座もまた、「怪物」や「病気」の名の下でいつの間にか覆われてしまっていた深い感情を取り戻していけるかどうかが問われていくことになりそうです。
しし座の今週のキーワード
盲点となっている感情