しし座
ひびき
「うすあかり」
今週のしし座は、「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」(久保田万太郎)という句のごとし。あるいは、深い寂寥を伴っていくような星回り。
掲句で見つめられているのは、たぎってきた湯豆腐が灯にゆれる光。それは、作者のこころのなかで、みずからの命そのものの光と一体となっていたのでしょう。
当時作者は劇作家として華々しい成功を収めており、文化勲章も受賞していましたが、私生活ではさまざまな困難に遭遇しており、妻の自殺、長男の病死、それに再婚した妻とも不和となっていました。そんな中、おそらく作者の心を癒してくれたのは、再会後まもなく一緒に棲み始めた昔なじみの女性の存在だったのですが、精神的支柱だったその女性も脳溢血で急逝してしまいます。
掲句が作られたのは、その10日後ほどのことであり、「うすあかり」という結びに何かしら救いを求める心理や祈りのようなものが感じられるとしたら、それは作者の深い悲しみとも寂寥とも定かならぬ実感ゆえでしょう。そして、そう詠んでみせた作者もまた、同じ年のうちに会食の席で赤貝をのどにつまらせて急逝しています。
12月4日にしし座から数えて「思いのたけ」を意味する5番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、願わくば作者のようにできるだけさらりと胸中を開示していきたいところ。
金子みすゞの「鯨法会(くじらほうえ)」
金子みすゞの故郷、山口県長門市の対岸に横たわる青海島(あおみじま)の東端には向岸島(こうがんじ)という、いまも春の終わりに鯨(くじら)の供養を行っている寺があり、鯨の位牌や千頭をこえる過去帳で知られていますが、鯨墓のうしろの地中には七十五体の鯨の胎児が埋葬されているのだそう。
仕留められた母鯨の胎内から取り出された胎児の「いのち」の在りようについて、おそらくみすゞはなまなましく想像を巡らせたのでしょう。次のような童謡を作っています。
鯨法会は春のくれ、海に飛魚採れるころ。
浜のお寺で鳴る鐘が、ゆれる水面をわたるとき、
村の漁夫(りょうし)が羽織着て、浜野お寺へいそぐとき、
沖で鯨の子がひとり、その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、こいし、こいしと泣いています。
海のおもてお、鐘の音は、海のどこまで、ひびくやら。
これは私たち人間の意識下に沈められている、他の生命を食い殺すことでしか生き永らえないという罪責感を浮き彫りにしたものであり、それを否定するのでも誤魔化すのでもなく、ただありのままに写しとっているように感じられます。
同様に、今週のしし座もまた、自分をひとつの生命体として見立てたとき、そこに何が見えてくるのか、鋭く問われていくことになるでしょう。
しし座の今週のキーワード
52ヘルツの鯨