しし座
失礼ですが、どなたですか?
「あわい」の感覚
今週のしし座は、「トワイライト・シーン」にいっとき自分をあずけていくような星回り。あるいは、外部的細部に入ること。
ほんとうに劇的な変化とは、むしろ弱弱しい微妙な変化にこそ潜み、稲垣足穂が『一千一秒物語』で描写した、影がはじけたとか、シガレットの煙が逃げたとか、「ちょっとしたこと」のうちに宿るもの。
松岡正剛はそうした何かが起こりそうな気配がおこる、わずかなトランジットの場面のことを「トワイライト・シーン」と呼び、それを手っ取り早くつくってくれるのが夕方だったのだと指摘した(『フラジャイル』)。
夕暮れどきが「たそがれどき(誰そ彼どき)」と表現されてきたのも、人びとが誰それという指定からも、どこどこという目的のある区域からも離れ、ただ何ものでもないanybodyに溶けだし、したがって「誰ですかあなたは?(who are you?)」と尋ねられねば分からない状態へと自然と変わってしまう刻限だったからで、そこに身をあずけていくとは、そのままふうっと「あちら」と「こちら」を繋げてしまうことをいうのである。
11日にしし座から数えて「西の地平線」を意味する7番目のみずがめ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、こうしたおぼつかない「あわい」の感覚にこそ身を添わしていきたいところ。
宗教的実践としての
現代の夫婦というのは、先に互いの価値観や好みへの「理解」というものが求められ、その上ではじめて「協力」が成り立つものとされるようになってきている。相手を理解するには、まず自分を理解しなければなりません。ただし、就活みたいに自分の長所や強みをというより、むしろ自分の欠落や病理、その部位や深刻さなどを、自分である程度認識していかなければならない。それはとても苦しくて、しんどい作業です。
それが嫌で別の人を横目で探したり、何度も何度も相手をかえていくような人もいるでしょう。そもそも「理解」という作業に向いてない人だって少なくないはず。
その意味で、今週のしし座もまた、結局のところ他者というのはこちらのコントロールを超えた存在であり、それと向き合い、関係を継続していくことはある種の宗教的な実践に他ならないのだということを何らかの形で実感していきやすいでしょう。
しし座の今週のキーワード
「理解」など脇においた方がいい