しし座
わたしがわたしであるために
わたしさくらんぼ
今週のしし座は、「さくらんぼ目をぱっちりと開けて食む」(小野あらた)という句のごとし。すなわち、かわいいは正義。
狙ってやっているにしろ、無意識でたまたまそうなっているにしろ、確かに「さくらんぼ」ってやつは、こんな風にして食べたくなるものだ。
パフェか何かの上にのっている、世界にたったひとつのさくらんぼ。
その特別さっていうのは、自分が今いちばん好きな人であったり、宝物のようにたまに思い出しては反芻する思い出であったりのそれに似ている。
でも、そういう特別な何かをただ食べるだけではかわいくない。「目をぱっちりと開けて」という態度と、「食む」という俳句らしい表現がそろうことによって、一個の特別な作品になるのであって、そうやって特別な何かを大切にしていく感覚が愛おしくてたまらないんだろうな、この作者は。
まあでも確かに。いいよね、そういうのって。
20日に自分自身の星座であるしし座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな作者のように、ただただ生きる歓びになかに素直におさまっていくべし。
沈黙の存在表明
ここで思い出されるのは、サウル王の求めに応じてダビデが名乗る情景。
思い躁うつ病を患っていた王は、家臣の勧めで竪琴の名手であったダビデを密かに招き、発病するたびに琴の音色で気を鎮めていたという。そしてペリシテとの戦いの折、ダビデはイスラエル軍の代表として立ち、敵の巨人ゴリアテを倒す。味方の歓喜の声に迎えられたダビデは、王からの「若者よ、お前は誰の子か?」という問いに次のように答えた。
あなたのしもべ、ベツレヘムびとエッサイの子です
ダビデがサウルに語り終えた時、ヨナタンの心はダビデの心に結びつき、ヨナタンは自分の命のようにダビデを愛した。(『サムエル紀』)
この時、王の病気は一部の限られた重臣しか知らされておらず、もしここでダビデが王とすでに顔見知りであった素振りを見せれば王の権威は失墜する一大事であった訳ですが(王子のヨナタンは固唾を飲んで見守っていた)、これが常人であれば決してダビデのようには振る舞えなかったはずだ。
なぜ、ダビデは自分の名すら口に出さなかったのか。それは特別な何かを大切にしていくということをよく知っていたからだろう。今週のしし座もかくあるべし。
今週のキーワード
他に何もいらない