しし座
“世”から自分を解き放つ
風の時代
今週のしし座は、『方丈記』の一節のごとし。あるいは、狂せる世に狂いまわるのではなく、心静かにいられる場所にこもって理性を立て直していこうとするような星回り。
前回の「風の時代」にあたる13世紀に鴨長明によって書かれた『方丈記』と言うと、すぐに無常とか無常観といったことが持ち出されますが、どうもそれは気が早すぎる話で、まず前提として当時は災害に飢饉に疫病に加え、戦乱で泥棒をしなければ生きられない、人を傷つけなければ、近親者を蹴落とさなければ生きられなかった時代だったのです。
つまり、別に特別に観念としての無常などということに気を入れたりしなくても、気狂い沙汰が横行していた社会だったということ。例えば方丈記にも次のような一節があります。
世にしたがへば、身くるし。したがはねば、狂せるに似たり。いずれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき。
これも実状としては、「したがはねば」というより、「世にしたがへばしたがふほど、狂せるに似たり」だったのでしょう。狂せる世の中にあって、狂せる「わざ」をして生きて行かなければならぬという状況下で、鴨長明は親切な申し出を受けて立派な肩書きを手に入れる代わりに、出家して京都郊外の比叡山のふもとの地・大原に隠棲することを選んだのです。
6日にしし座から数えて「サバイバル」を意味する3番目のてんびん座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、危機の時代を生き延びていくにあたって、危機とは何か、生き延びるとはいかなることを指すのか、ということについて思案してみるべし。
風たる者の心得
稲垣足穂はある日の日記に「花を愛するのに植物学は不要である。昆虫に対してもその通り。天体にあってはいっそうその通りではなかろうか?」と書き付けました。
実際、花を愛でるにしろ星を眺めるにしろ、文化というものに対する私的な所有欲やそれに基づく階級意識ほど、図らずも人として品性のなさを醸し出してしまうもの。逆に、簡単には所有されにくい文化の根源、すなわち目に見えず、また簡単には言語化されない叡智であるほど、そうした所有欲や階級意識を内に抱いている限り見つけ出せなくなっていきます。
そして今のしし座にとって、そうした吹き抜けていく風のようにつかまえがたい叡智を、自身と周囲とのあいだに改めて吹き込んでいくことこそ、本質的なテーマになっているのではないでしょうか。
今週はそんな物事を純粋に楽しむ軽やかさと、頑として自身を硬直化させない激しさとを同時に生きていきたいものです。
今週のキーワード
「世にしたがへばしたがふほど、狂せるに似たり」