しし座
自己愛を神に差し出す
路地は続くよどこまでも
今週のしし座は、「路地は冬偽ルイ・ヴィトンひかり合ふ」(村越敦)という句のごとし。あるいは、路地の尽き果てた先でいのちの洗濯をしていくような星回り。
古代には「買う」という語と「贖う(あがなう)」、すなわち物を神に差し出して罪をつぐなうこととが同音同意に用いられ、買うことが祓いの一つでもあり、市場は日ごろの罪や穢れを祓い清める場という役割をも担っていたのだと言う。
掲句もまた、クリスマスをピークとして、偽りの仮面を被った人々が行き交う街の情景を、それぞれの重い罪、穢れをあがなおうとする厳粛な祓い清めの儀式のごとく活写している。
この冬、自分が死なないでいることとは、偽ルイ・ヴィトンに潔く大枚をはたくことだ。この世の果てまで路地は続く。宵越しの金は持つな。それでこそ祓いだ。
坂・樹・河・橋・門・改札―。そこで路地は尽きる。お前は振り返ることなく通りすぎる。かつてのお前自身の罪穢れを。そうして、お前は新たな自分になっていく。
30日にしし座から数えて「市場と交換」を意味する11番目のふたご座で月蝕の満月を迎えていく今週のしし座もまた、そんないのちの洗濯のための儀式におのずと参加していくことになるだろう。
自己愛をほどいていく
『愛という病』というエッセイ集の中で、中村うさぎは「女性とは何か?」が分からないのだと言いつつも、次のように綴ってみせる。
女のナルシシズムは、他者の愛によってしか満たされない。それは女が自分を「他者の欲望の対象」として捉える生き物だからである。女は他者の欲望を求めることによって自己を確立し、同時に、他者を無化するモンスターなのだ。
思わずひるんでしまうような文章だが、実際、中村はダメな男性にハマってしまう女性など、多くの女性たちを観察し、その度に、なぜ女性は「愛し愛される事」に固執するのか?他のすべてに充足していても「愛し愛される相手がいない」という一点の欠落だけで自分を価値のない存在のように感じてしまうのは何故なのか?と問いを繰り返していく。そして、不意に「これさえ解ければ、女たちは今よりずっとラクに生きられるような気がするのだ」などと自身の思いの丈を吐露してみせるのだ。
ジェンダーレスが叫ばれ、社会的な意味で「女」というものが複雑になり、多様になってきている昨今だからこそ、彼女の試みはますます重要になっているように思う。
今週のしし座もまた、自分への愛というもつれた糸を、他ならぬ自分自身の手でほどいてみるといいだろう。
今週のキーワード
「愛されたい」という思いと「愛したい」という欲求とがせめぎあい