しし座
老人のように
存在の大いなる連鎖
今週のしし座は、柳田國男の「おきなさび飛ばず鳴かざるをちかたの森のふくろふ笑ふらんかも」という歌のごとし。あるいは、自分の権利や功績を主張することの危うさに気付いていくような星回り。
岩手県遠野地方に伝わる逸話や伝承を記した『遠野物語』というと、著者の柳田國男の名を広く世に知らしめたすぐれて個性的な作品というイメージばかりが先行しますが、厳密には柳田は記述者に過ぎず、実際の伝承者は民話蒐集家であり小説家でもあった佐々木喜善でした。
さながら『古事記』の伝承者が稗田阿礼で、記述者が太安万侶であったように。今日の私たちは、著作権とか知的財産権などを持ち出して「著者」なるものの既得権が絶対的なものであるかのように勘違いしていますが、人生の真実を言い表わすのに、ほんらい著者などというものは存在しないのです。
少なくとも、『古事記』や『遠野物語』などが放つ作品においては、個人や著者などというものは落剝(らくはつ)した影のようなもので、その香気は裸身の人間世界がむき出しになっているところに匂い立っている。
どうしたらより肌身で感じ、その精髄に触れられるかどうかの方が、著者が誰であるかなどといったことよりも、よほど大事な問題なのではないでしょうか。
それと同様に、9月2日にしし座から数えて「受け継ぐこと」を意味する8番目のうお座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自分が目立つことよりも実質的な力を得ることをこそ優先していきたいところです。
みみずくとふくろう
ここで改めて冒頭の歌に立ち戻ってみたいと思います。この歌は『遠野物語』の序文の末尾に添えられたもので、大方の意味するところは次の通り。
自分はみみずくのように耳を立て目をまんまるくして『遠野物語』の効用を説いたけれど、しかし遠くの森のなかでは飛びもせず鳴きもしないでいるふくろうが、翁らしい慎み深さをたたえつつ自分を笑っていることだろう、と。
みみずくもふくろうも、どちらも森にすむフクロウ科の鳥ですが、みみずくは耳(羽角)を立てているのに対し、ふくろうは耳を持っていない。
意味や意義といったものにあまりに耳を尖らせ、目を丸くし過ぎるという仕草は、いかにも近代人的のユーモラスな風刺画と言えますが、柳田はその対極に「翁さびたふくろう」を置いてみせることで、危険をはらんだエゴの振る舞いに自分の手で釘を刺したのでしょう。
今週のしし座もまた、柳田のように自身の心中に「翁さびたふくろう」を置いていくといいかも知れません。
今週のキーワード
お能の翁面