しし座
ピカピカの命そのものになる
心研ぎ澄ます感覚
今週のしし座は、「虫の音の真直中に杖を止め」(緒方句狂)という句のごとし。あるいは、幸福であるか不幸であるかなど脇においてただ心を澄ませていくような星回り。
作者は三十歳の頃に失明してから俳句を始め、その後の盲俳人の嚆矢となった人。耳の聞こえない聾の俳人は多くあるけれど、視力を失った俳人の句作困難は聾の比ではなかったはずで、戦争による多くの失明者たちにとっても大きな光明となった存在でした。
掲句もまた、盲人の作であればこそ「虫の音」が生きてきます。彼の天地においては、ただ虫の声だけが鳴り響いており、自分が立っている場所をその「真直中(まっただなか)」とずばり言い得ている訳で、それがこの句の生命をなしています。虫の音のなかに白杖を止め、全身をひとつの耳のようにして心をじっと澄ませ、盲人の命もまたこぼるるばかりとなっている。
芸術の世界は病人であろうと盲人であろうと容赦しません。そのことをよく分かっていた作者の歩いた道は人一倍苦しい道だったに違いありませんが、盲目になったことが不幸であったか幸福であったかについては思わなかったのではないでしょうか。彼はただ与えられた常闇の世界に住み、静かに句を作り、それをおのれの命としてしていったばかりであったはずです。
26日未明にしし座から数えて「命を燃やす場所」を意味する5番目のいて座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、まわりから照らされ、持ち上げられることをただ待つばかりでいるのではなく、みずから光を発していける場所にまず立ち続けていくことを意識していくといいでしょう。
全身を目にする
例えばすべすべとした可愛らしい丸石というのは、いきなりどこかからポンと生まれてくる訳ではなくて、河原でごろごろごろごろやっているうちに、だんだんと時間をかけて丸くなっていったものを、人間の側で見つけることによって手に入ります。
そう、どこかの時点で「あっ」と思って、発見されていくんです。赤瀬川原平さんという前衛芸術家が、かつて「芸術って別にものを作らなくてもいい。すごいものを見つければいい」ということを言っていて、実際に街をフィールドワークし、意味のない階段、どこへも繋がっていない扉など、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物。その役に立たなさ、非実用性において芸術を超えた存在。さながら異世界に通じる呪物のようなものを「発見」していきました。
今週のあなたもまた、どこかで肩の力を抜きつつ、何気なくその場にあるものにびっくりしたり、その意味がどこか別のところへと運ばれていくような時間にただただ耽溺するべし。それが結果的には、「みずから光る」ということの入口となっていくはずです。
今週のキーワード
光源としての眼