しし座
阿修羅と人間
堕ちた神
今週のしし座は、「阿修羅の鵜女体とききしあはれさよ」(渡辺桂子)という句のごとし。あるいは、みずからの背負っている“業”を改めて見つめていくような星回り。
長良川の鵜飼いの句。毎年5月11日から10月15日まで鵜を使って鮎などの魚を獲る漁法で、1300年以上の歴史を持つ伝統でもあります。
舟から水中に飛び込んだ鵜は、かがり火に照らされて輝く鮎をつぎつぎ飲み込んでは、鵜匠の縄で首をしめられて、船上にあがると吐き出させられる訳ですが、何羽かいたうちでも特に働きのいいものがいて、鵜匠に雌であると聞き、あわれを覚えたというのです。
よく働く雌の鵜に、つねに戦い続ける「修羅」の道を連想し、何より女性である作者自身を重ねたのでしょう。
ただ国宝に指定された阿修羅像のある興福寺宝物殿の解説では、「阿修羅」はインド・ヒンドゥーの『太陽神』もしくは『火の神』であると伝えており、もともとは天界の神であったことも示されています。
7月5日にしし座から数えて「奉仕と潔斎」を意味する6番目のやぎ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、労働であれ掃除であれ、ある種の「修行」に見立てて、みずからがそれを通してどこへ向かおうとしているのか、見つめ直してみるといいでしょう。
働く神
例えば私たちは毎日どこかの路上でネコや犬と出くわしますが、動物を愛玩の対象や子供のちょうどいい遊び友達とは認識すれど、どこかで自分たちとは断絶した、異質な存在として見なす時代を生きています。
しかしすこし歴史を遡れば、狩猟採集を生きるための主な手段としていた時代において、ある特定の動物や植物(トーテム)を、子供たちならず自分たち種族全体の守護神、そして祖先として信仰していた時代が、そうでない時代よりもずっと長く続いてきました。
そこには自分が生きるために、互いのいのちを殺し、喰い、交わっていた原初の連帯があり、自然な、したがって無尽蔵の連続性や一体感がありました。
そうした世界では、他の動物を殺して食べることもまた「自分は何者か。何と一体になりたいのか?」という問いかけであり、それへの応答であった訳で、狩りの獲物は食料であり神でもあり、狩りのパートナーである動物もまた神であったはずです。
そう考えてみると、掲句の作者が真にあわれに感じたのは、思い上がった人間のことなのかも知れません。
今週のしし座は、自分の自然な立ち位置ということをいつもより少し広い視点から考えてみるべし。
今週のキーワード
脱・人間中心主義