しし座
本気でぶつかるということ
ガチンコ
今週のしし座は、「春風や闘志いだきて丘に立つ」(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、本気で取り組むべき相手や企てをまっすぐに見つめていこうとするような星回り。
まるで宿命のライバルに果たし状を叩きつけるかのような句。作者は正岡子規の高弟であり、中学の同級生だった河東碧梧桐とは終生のライバル関係にありました。
次第に無季自由律俳句に傾斜していく碧梧桐一派に対し、我こそは子規の正統を自負し、「有季定型」を俳句の必要条件として掲げた虚子は並々ならぬ闘志を燃やしていました。
ただ、山頂にではなく「丘に立つ」とあるのは、当時、虚子の主宰する「ホトトギス」が俳壇においてまだまだ劣勢にあり、下から相手を見上げる立場にあることをよく自覚していたからで、掲句はその上での宣戦布告だった訳です。
やがて方法論に行き詰まった碧梧桐一派が自滅していくのに対し、「ホトトギス」からは次々と次代の俊英たちを輩出し、虚子一門はついに昭和前期の俳壇をリードする最大派閥となっていきました。
3月22日に試練と課題の星である土星が、しし座から数えて「対等な他者」を意味する7番目のみずがめ座に入っていくあなたもまた、きちんと自分の立場を打ち出し、おのれが何であって何でないのかを自分自身の言葉や行動で示していくことになっていくでしょう。
芸術と人付き合い
存在しているだけで、なぜだかありがたい。そう思わせるものには、あなたの魂の片割れが潜んでいます。 例えば、そういうものにお金を払ったり時間や手間をかけたりという行為は、単に消費や浪費や経済的合理性ということを超えて、もっと「自分自身」を感じたいという衝動が潜んでいますし、そうした感覚はあなたが「自分は誰と付き合っていくべきか?」という問題を考える際にも、大変重要なヒントを提供してくれます。
自分を知らず、自分に鈍感な人というのは、他人と付き合うということの根幹を見誤るのです。芸術を「発見していく営み」だとすれば、その目的語に当たるのは常に自分自身であるはずですし、自分を発見するのが上手な人で、付き合うべき相手を間違えている人というのはまず見たことがありません。
自己発見の練習としての芸術。今週はそういう風に考えて、会うべき人の顔を思い浮かべながら過ごしてみるのも一興でしょう。
今週のキーワード
真剣でない芸術はすべからく意味がない