しし座
へんてこで、かがやかしい
泥臭い詩情
今週のしし座は、「花言葉かがやくばかり種を蒔く」(藺草慶子)という句のごとし。あるいは、みずからの背景に投げやったはずの感情を改めてとりだしていくような星回り。
花言葉は、主に花の色や形のイメージからつけられ、由来が不明なものも多いものの、ヒヤシンスの「思い出」やアネモネの「淡い恋」、スイセンの「自己愛」などははるか古代ギリシア・ローマ時代から変わらぬ意味を与えられています。
掲句では、種袋に手を差し入れ、大地に花の種を蒔きつつ、その花言葉にまで思いを馳せている訳ですが、それがなぜ「かがやくばかり」なのか。
おそらく、いつのまにか自分が失っていた感情や、かつてはまだその意味するところがよく分かっていなかった心境を、花言葉のなかに再発見していったのでしょう。
感情の中には、年老いてみなければ、また一定の時間をおいてからでなければ、気付くことができなかったり、身に沁みるように感じることのできない感情があるもの。そのことが不意に実感されてきた際の驚きと、純粋な喜びとが掲句には溢れているように思います。
10日にしし座から数えて「身体的蓄積」を意味する2番目のサインであるおとめ座で満月を迎え、同じタイミングで水星が順行に戻っていく今週は、しし座にとってこれまで無意識のうちに感じたり、重ねてきた思いや気持ちを改めてすくい取り、表沙汰にしていくタイミングとなっていくでしょう。
奇跡か美か
どんな種だって進化の袋小路に入り込んでしまうことはありますが、そこからさらに自分ではそうと知らずに自分の首をしめていくようなケースについては、はっきりと間違っていると言わねばなりません。
例えばベイトソンはそれは「奇跡」の希求なのだと言います。救世主であれ、降霊術であれ、「奇跡とは物質主義者の考える物質主義的脱出法に他ならない」のであり、そうした安易な誘惑にのることは誤った試みなのです。 「野卑な物質主義を逃れる道は奇跡ではなく美である―もちろん醜を含めた上での美だけれどね」(『精神と自然』)
興味深いのは、彼がそんな美の実例として、ウミヘビや、サボテンや、ネコなどの生き物を取り上げてみせるところでしょう。ベートーヴェンの交響曲やフェルメールの絵画ではなくて、そうした生々しくも素朴な形態に即したところにこそ、醜さを含めて美を志向していく意志も宿るのかも知れません。
今週のキーワード
奇蹟ではなく、美。