しし座
静かな暮らしに命は宿る
隠遁の真髄
今週のしし座は、「捨てはてて身は無きものと思へども」という芭蕉の言葉のごとし。あるいは、ただ「静かに暮らしたい」と思い至るような星回り。
『風俗文選』の「西行上人画讃」に芭蕉の「捨てはてて身は無きものと思へども 雪の降る日は寒くこそあれ、花の降る日は浮かれこそすれ」という言葉があり、これは芭蕉が憧れの人である西行に見た、隠遁の真髄に触れているもののように思います。
「捨てはてて身は無きものと思」うとは、人間らしい在り様をも捨ててしまったまったくの孤独の境地であり、離脱の極みとも言えますが、その裸身裸形の肌で雪の寒さ、花の美しさなど、大自然の与えてくれているものを素直に感じとり、そこから何ごとかを得ようとすること。
それが隠遁ということの極限的な姿であると芭蕉は考えていたのでしょう。
これは能楽で、舞台上の恋愛や修羅の悲喜こもごもが終わったあとに、諸国を旅する隠遁の僧が立ち上がって、「今まで鬨の声と聞いたのは松風や波の音であった」と語る場面にもどこか通じています。
27日(水)にしし座から数えて「再誕」を意味する5番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、これまでにない新たな一面が自分の中から産声をあげていく瞬間を経験していくことでしょう。
魂の産婆となる
例えば、芸術が芸術として立ち上がっていくような場とは、立ち位置を周縁へと動かしたり、少し角度をつけたり、思いきった反転が可能となるような場であるはずです。
それを資格や制度や権力のど真ん中に収まって喜んだり争ったりしているようでは、そこから豊かなものは出来あがってきませんし、そこに集う個人も、次第に自由な個ではなくなっていくでしょう。
芭蕉や西行が身を置いていった「隠遁」であるとか、もっと端的に「静かに暮らす」ということは、端的に感動すること、愛すること、望むこと、そして身ぶるいすることができるような場の質を高めていくということに他なりません。
そうした条件さえ満たせば、隠遁というのは1人でも2人でも3人でもいいんです。そこで自然への回帰を目指すのであれ、商売をするのであれ、静かに暮らしていく中で、生きる力を高めていけるかどうかが大切で、それこそが芸術の命なんです。
今週のあなたは、ひとつ自身の魂の産婆になったつもりで、そうした「心がいきいきとしてくる」ことに敏感になっていくといいでしょう。
今週のキーワード
裸身裸形の肌