しし座
宿命の感覚
蛇笏の場合
今週のしし座は、「夏雲群るるこの峡中に死ぬるかな」(飯田蛇笏)という句のごとし。あるいは、あれかこれかという二項対立を超えたところにある宿命を、受け入れていくような星回り。
若かりし頃、東京の大学に学んだ作者は、家の事情で学業を断念し、故郷の甲斐の山中に戻り、その後友人から再度の上京を促されもしましたがそれに応じず、結局死ぬまで甲斐を拠点に句を詠み続けました。
そんな作者にとって「夏雲群るるこの峡中」とは、単に登山客のように手放しで満喫できる素晴らしく雄大な自然であるだけでなく、同時にどこか鬱々とした気持ちにさせられる
複雑な思いの混じった風景であったに違いありません。
光が強ければ影も濃くなる。誰もがうすうす勘づきながらもそっとしておくところを、作者はそれを許さず、みずからここに「死ぬる」のかという思いぶつけてみせる。
それは決して達観した境地から何気なく発せられた一言などではなく、きしんだ内臓からやっとの思いで絞り出された呻き声に似た何かだったのではないか。
19日(日)にしし座から数え「ホーム」や「心理的基盤」を意味する4番目のさそり座で満月を迎えていく今週は、あなたが受け入れていかざるを得ないものとは何かということが焦点となっていくでしょう。
垂直的な柱を立てる
この“受け入れていかざるを得ない”という感覚は、これまでやってきたことの繰り返しや惰性的な日常の中に、何か垂直性のものが突き立って、そこから新しい神聖な空間を開いていくというイメージにも近いかもしれません。
より能動的に言えば、それはゆるやかな流れの断絶であり、殺害。与えられた自然な素材を「切って」、ここから新しい宇宙が開けてくるここぞという特異点を見出し、そこに柱を置いて、空間を立てていく訳で、例えば『創世記』では、そうした行為のイメージを次のように描写しています。
「天地開闢の初め、大地は混沌として漂い、まるで水面に浮ぶ脂のようだった― 一説では、水に浮かぶ魚のごとくであった、あるいは、水に漂うクラゲのごとくであった。そこに突然、一つのものが出現したのである。その形は葦の芽のようであった。」
これから、どこに、どんな垂直的な精神を立てていくのか?
今週はそうした問いを踏まえた上で、しっかりと腹をくくり、行為の開始点を見つけていくといいでしょう。
今週のキーワード
葦の芽のごとし