しし座
共にある者
かけがえのなさとは何か
今週のしし座は、「永日のきみが電車で泣くからきみが」(小川楓子)という句のごとし。あるいは、胸底にふかぶかと突き立った問いを通して、誰かと繋がっていくような星回り。
春の日永にどこかへ出かけて行ったのだろうか。せっかくの行楽も、帰りの電車で「きみ」が涙を流せば、世界はとたんに「きみ」一色になってしまう。桜がなんだ、デートのスケジュールがなんだ、その他有象無象は「きみ」が泣いてしまったら、すべて色褪せてしまうんだよ。
乗り換えるはずの駅を過ぎても電車から降りれず、きみが、きみが、とうめきながらただおろおろしているばかりの作者の姿が目に浮かぶようです。
もちろん、実質的に自分と同等か、それ以上に大事な存在として誰かを見なすことができれば、私たちもきっと作者のような「きみ」を体験できるでしょう。でもそれは、自分もまた他人からすれば些細に見える問題に、涙が枯れるほど思いつめた経験を経たからこそ可能な業(わざ)なのかもしれません。
そして、そうした経験を経たしし座が、もし誰かのためにみっともない姿を晒すことを厭わなくなったとすれば、そういう相手こそ真の意味での仲間や同志なのだと思います。
5日(金)におひつじ座で新月を迎えていく今週は、自分にとって真に何か大切な何かを共有できるような場や相手について、改めて考えさせられていくでしょう。
師は必ず偽装する
「弟子が準備できたとき、師は現れる」という言葉がありますが、占星術家ディーン・ルディアはその続きとして「師は必ず偽装する」という言葉を付け加えるべきだと述べています。
これは師のことを言っていると同時に、先の「きみ」のことを言っている言葉でもあるのです。例えば、「どこが好きなの?」と聞かれてスラスラと答えられるような「好き」というのは、本当の「好き」かどうか怪しいものだということ。
逆に、その場ではうまいことが言えず、おろおろするばかりであったとしても、後になって突然なにかが分かったり、腑に落ちることもあるのです。そう考えると、掲句における「きみ」の連呼もまた違った響きを持って聞こえてくるはず。
心許なさをごまかさず、自らの内なる対話に意識を向け、じっと耳を澄ますよう、今週はどうか心掛けてみてください。
今週のキーワード
「きみ」体験