しし座
アートとテクネー
術者の心得を問われる時
今週のしし座は、エプロンに身を包んだ自然魔術の使い手が、丹精込めてつくった手料理を大切な人に振る舞っていくような星回り。料理はそれを共に食べる者を癒し、滋養を与え、新たに生まれ変わらせるためにありますが、どうも今週に限らず、2017年という年は、しし座にとってそうした現場・場面における「術者の心得」を問われていくことになりそうです。
例えば、医学の父・古代ギリシャのヒポクラテスは医術を当時支配的であった原始的な迷信から切り離し、観察と経験を重んじるべきと説きました。
ただ、そうした経験科学的な彼の主張は病気の原因をなんらかの独立した実体としてではなく、あくまで病める人悩める人の全身的ないし全生活的な乱れや不摂生の結果として捉え、医者のつとめを人間に本来備わった「自然治癒力の強化」のうちに見るという視点に常に裏打ちされたものでもあったことを、私たちは忘れてはならないでしょう。
複雑にこじれた思い込み、過去の人間関係のもつれによって生まれた感情のしこりなど、人間を疲弊させる「乱れや不摂生」を前にしたとき、それらをいかにただし、いかにメスを入れていくのか。
また、そこで誰を癒し、また自分も誰からならば癒されえるのか。しし座は今年、このことをよくよく考えさせられることになるかも知れません。
ひとりの人間として
ヒポクラテスの言葉として今日もっとも一般的に知られているのは、「人の一生は短く、アート(術)は長い」という言葉でしょう。しかしこれは彼が芸術至上主義であったということではまったくありません。
古代ギリシャにおける「アート」とは医術を含む技法のことであり、芸術を含む創意工夫は別の「テクネー」という言葉で表されていたのです。つまり、先の言葉はあくまで医術の研鑽は一生かけて行うものであるという、医者としての心得を説いたものなのです。
しかし、ヒポクラテスは何より医術を、病める人、悩める人を癒していくためのものとして位置づけていました。その考えを端的に表したのが次のような彼の言葉です。
「人への愛のあるところには、またいつも(癒しの)テクネー(創意工夫)への愛がある」
医者である以前に愛すべき者をもつひとりの人間として、彼が「術者の心得」をどのように捉えていたか、非常に示唆に富む言葉ですね。どうかご参考までに。
今週のキーワード
自然治癒力を強化させる、ヒポクラテス『古い医術について―他八篇』、アートとテクねーをめぐる言葉、「術者の心得」(2017年)