しし座
自分の意志に従う
創造する肉体
今週のしし座は、知られざる賢者のごとし。あるいは、‟身”をもって「われ」より大きな「自己」にその欲するところのものを創らせていくような星回り。
禅思想の極みの1人である道元の言行を伝える『正法眼蔵随聞記』を開くと、「仏道を得るには頭や言葉で得るか、からだで得るか」という命題が繰り返し登場することに気が付きますが、これはまさに今週のしし座の人たちの課題そのままと言えるかもしれません。
つまり、自我や意識(「われ」)というのは絶えず、物事や人生の意味や目的を問うけれど、そこで感じとる苦痛や快感、満足や没落といった概念を創り出しているのは誰かということ。
それは「われ」ではなく、その背後にある「自己」であり、すなわち肉体であるのではないでしょうか。
腑に落ち、身に覚えのあることだけが、「自己」ないし意志の直接的な代弁者として「われ」の喜びや満足や情熱をほのかに創り出していくのであって、決してその逆ではないのです。
今週は「われ」がだんだん消えていくなかで、逆にだんだんと強まっていく意志や確信を直接的に感じていくことができるでしょう。
「うかれ出づる心」が告げる
人生には、「流れ(flow)に運ばれる」タイミングというものがあります。
スポーツの世界で言う「ゾーン」にも似ていますが、それは自分を包みこむ大きな力に悠揚と身を任せながら、ふっと地面から浮遊していくような不思議な感触を心に残します。
平安末期に生きた日本を代表する歌人・西行には、まさにそんなフロー体験としか思えない心理を次のように歌にしています。
「うかれ出づる心は
身にもかなはねば
いかなりとても
いかにかはせむ」
感動し、浮揚する魂はあまりにも高揚しているため、ついには自分の身体からも出ていってしまい、もはや自分自身ではどうにもこうにもコントロールできかねないぞ、とそんな意味でしょうか。
「自己」が欲するものを知るためには、一度「われ」を見失い、そして出ていった魂につき従って、その行く先を見定めていくようなプロセスが必要なのかもしれません。
いずれにせよ、もし一度心が動いたならば、いよいよその時が来たのだと知るべきでしょう。
今週のキーワード
FLOW