ふたご座
原始と極限
畏敬の念を抱く
今週のふたご座は、「月と日の外はおぼえず富士詣」(卓池)という句のごとし。あるいは、手段ではなく目的にこそ目を向け、そこへ意識を集中させていくような星回り。
日本は古来より山岳信仰が盛んな国ですが、そのなかでも富士山は、別格といってもいい存在でした。ふもとの富士山本宮浅間神社でも木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀っていますが、山頂にある奥の院まで自らの足で登り参るのが富士詣(もうで)です。
掲句はおそらく、そうした富士詣で参った山頂の光景でしょう。それは太陽と月の他はなにもないという、まさに宇宙的な光景。
畏敬の念というのものは、ただ真面目に教えをインストールしたりすれば湧いてくるというものではありません。本当の意味で「圧倒される」ことがなければ、そうした状況に身を置いていくのでなければ、決して得られるものではないんです。
今週はある種の極限状態を経験していくことになるかもしれません。たとえそうでなくても、本末転倒した欺瞞をいかに晴らし、本質に触れていけるかがテーマとなっていくはずです。
決定的な転回点に立つということ
畏敬の念。それはどこかウソ臭くなってしまっていた現実に、「ナマの感覚」を取り戻させるための決定的な転回点でもあります。
例えば、「首都」を意味する「京」という漢字の成り立ちには、以下のようなエピソードが秘められているそうです。
「国の都を京都という。京は城門の象であるが、その門は戦没者の屍骨を塗りこんで作った。(中略)戦役の勝利者は、敵の屍骨を集めて塗りこめ、その凱旋門を都城の入り口に建てたのである。これもまた隠れた祈りである。この怨念に満ちた死者たちの怒りは、すぐれた呪霊を発揮するものと考えられた。」(白川静、『漢字百話』)
考えてみれば、歴史ある首都であれば生きた人間以上に、おびただしい数の死んだ人間の気配がどこかに残されてあるはずです。
その意味でこの世とは、まず何よりも「死んだ者が思いを遺していく」場であり、次に生ける者がその上に思いを重ねていくための場なのです。
そうした、原始的本能がうごめき、忘れていた感覚を取り戻していく機会を、どうか逃さないようにしてください。
今週のキーワード
死者の感受と原始的本能