ふたご座
二つの世界のはざまで
謎があるからこそ
今週のふたご座は、スナフキン研究としてのムーミン・シリーズのごとし。あるいは、謎が謎のままあり続けることを素直に受け入れていこうとするような星回り。
一連のムーミン・シリーズの最終作である『ムーミン谷の十一月』では、作者のトーベ・ヤンソンの分身であり、ムーミントロールの分身であったホムサ・トフトというキャラクターが登場します。過去作でムーミントロールがスナフキンに恋い焦がれ続けたのに似て、やはりホムサもまたスナフキンに憧れています。
なぜみんなはスナフキンを尊敬するんだろうと、ホムサは本気で考えてみました。パイプを吸うのは、かっこうがいいに決まっているけれど。もしかしたら、みんなから距離ををとって、自分の世界に閉じこもっているからかもしれません。(だけどそんなことは、ぼくだってしているんだ。でも立派だなんて、だれも思ってくれやしない。ぼくが小さすぎるせいだな)『ムーミン谷の十一月』
この「どうして自分は彼のようになれないのか」という残念な気持ちの表明は、作者トーベの本心でもあったのでしょう。その対象となっていたのはスナフキンのモデルとなったアトスという元恋人で、彼は哲学者であり政治家であり冒険家でもある、大変魅力的な人物で、恋人関係を解消した後もトーベとは終生にわたって友人であり続けたようです。
文学研究者の横道誠は、豊かな自閉症的世界観という観点からムーミン谷を読み解いた『なぜスナフキンは旅をし、ミイは他人を気にせず、ムーミン一家は水辺を好むのか』という本の中で、トーベにとってこのシリーズ自体が「スナフキン研究、アトス研究」であり、全体の末尾にいたってもなお「ついに憧れた人物は謎に留まる」ことこそが、このシリーズの「もっとも感動的なポイント」なのだと述べています。
ただ一方で、あらゆる場面でファスト化が進んでいる現代社会では、こうした謎の感覚を人と人との関係の中で持ち続けることはますます難しくなっているのではないでしょうか。
10月17日にふたご座から「交友」を意味する11番目のおひつじ座で十三夜の満月(感謝)を迎えていく今週のあなたもまた、もし少しでも謎の感覚を持ち得ている関わりがあるのなら、そのことのありがたみを実感していきやすいはずです。
『リリィ・シュシュのすべて』の蓮見と星野
ここで思い出される作品に岩井俊二監督の『リリィ・シュシュのすべて』(2001)があります。あらすじとしては、平凡な蓮見と優等生の星野は中学で親友となるも、夏休みに仲間たちと一緒に行った沖縄の離島で星野が溺れかけ、頭を割られたバックパッカーの死体を目撃する体験を経て、関係性が変わっていきます。完全に脱社会化してしまった星野は、番長を殴り倒して代わりにその座について恐怖政治をしき、配下にカツアゲや売春をさせるようになり、蓮見が思いを寄せる同級生や蓮見自身もその対象となってしまいます。
そして、こうした学校での物語に、ネットの物語も並行していき、蓮見は「世界を満たすエーテルを音楽にした」リリィ・シュシュのファンサイト「リリフィリア」で出逢った別のファンとチャットで意気投合し、交流を深めていく。しかし、リリィ・シュシュの1stコンサートで青林檎を目印に約束場所で待っていたその相手は、なんと星野だった。またもや虐待された蓮見は、星野を群衆に紛れて刺殺してしまう。その後、蓮見は一見平穏無事な学校生活に戻ったかのように見えたが―。
この映画ののっぴきならないリアルさは、学校問題への綿密な取材などではなく、監督が記憶の中の学校、その匂いや光を徹底的に描いているがゆえのものなのですが、だからこそ、星野のように脱社会化した存在になりきれずに社会に留まってしまった監督自身の自問自答に、観客の側もいつの間にか引き込まれ、ある問いへと直面させられていくのです。なぜ自分は蓮見でしかあり得ず、星野へと突き抜けられないのか、と。
今週のふたご座もまた、大人になるにつれて、いつしか忘れていた「世界」の手触りを不意に思い出していくことになるかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
「社会」とその向こう側にある「世界」