ふたご座
未知を追い求めて
生半可では許されない領域へ
今週のふたご座は、『月と六ペンス』における芸術家のごとし。あるいは、ミイラ取りが積極的にミイラになっていくような星回り。
1919年に刊行された『月と六ペンス』という小説は、主人公の「私」がひょんなことから40過ぎの冴えない画家(ゴーギャンがモデルと言われている)と出会うところから始まります。彼はロンドンで何不自由ない生活を送っていたのに、ある日突然、失踪してしまいます。それは分かってみるとなんと、「絵を描く」ために何もかも捨てたというのです。
彼は芸術のために人生ががたがたに狂ってしまってもまるでお構いなしなのですが、一体そうまでして、なぜ絵を描かなければいけないのか。
彼が色や線に固有の価値を置いているのは間違いない。駆り立てられるようにして自分の感じたものを伝えようとしている。そのためだけに、独自の色彩や描線を創り出したのだ。追い求める未知の何かに近づくために、なんのためらいもなく対象を単純化し、歪めた。事実などどうでもいい。なぜなら身の回りにあふれる瑣末な事象の奥に、自分にとって意味があると思えるものを探し求めていたからだ。まるで、宇宙の魂に触れ、それを表現せざるを得なくなったかのように。
そう、一度触れてしまったら、もう後には戻れなくなる。そんな体験が人生には確かにあります。そして、素晴らしい芸術というのは、得てしてそこに深く魅入られた人間たちの、他のすべてを犠牲にせんとするほどの努力によって初めて成り立つのではないでしょうか。
美とは芸術家が世界の混沌で魂を傷だらけにして作り出す素晴らしい何か、常人がみたこともない何かなんだ。それもそうして生み出された美は万人にわかるものじゃない。美を理解するには芸術家と同じ様に魂を傷つけ、世界の混沌をみつめなくてはならない。
10月3日にふたご座から数えて「情熱」を意味する5番目のてんびん座で新月(種まき)を迎えていく今週のあなたもまた、これはと思ったことなら何でもあれ、そのために狂うことくらい何でもないのだという腹の括り具合を見習っていきたいところです。
望みは何かと訊かれたら
ここで思い出されるのが映画『愛の嵐』の中で、強制収容所の生き残りである頽廃的なユダヤ人少女ルチア(シャーロット・ランプリング)が、親衛隊の将校クラブで男性たちにおもちゃにされながら「望みは何かと訊かれたら」という曲を唄い踊るシーンです。
「何が欲しいと聞かれれば、わからないと答えるだけ
良いときもあれば、悪いときもあるから
何が欲しいと聞かれれば、「小さな幸せ」とでも言っておくわ
だってもし幸せ過ぎたら、悲しい昔が恋しくなってしまうから」
道徳的な常識論なんて、どうでもいい。美しいものは美しい、ただそれだけでいい。何を憚ることがあるだろうか。美しいものにただ恋焦がれる気持ちを、ときめくものへの欲望を、誰かどこかで叫ばずにはいられなくなって、やっと絞り出せたときの歌声というのがあらゆる文化の発端なのではないでしょうか。
そして今週のふたご座もまた、泡のように立ち昇っては消えゆく白昼夢の中に、本当は今なお求めて止まない喜びの答えを見つけ出していくことができるかも知れません。
ふたご座今週のキーワード
世界の混沌を見つめるということ