ふたご座
回想と情念
幽霊であれ死人であれ
今週のふたご座は、『曼珠沙華さめたる夢に真紅なり』(橋本多佳子)という句のごとし。あるいは、一度はなかったことにしかかった思いがここぞとばかりに再浮上してくるような星回り。
曼珠沙華を愛する女性俳人には、ことさらに「女」としての心の打ちだし方になにか濡れて光るものがひらめいているように感じられる者が多いように思います。
掲句においても、理知にもおさまりきれず、母性のみにも徹しきれず、どうしたっておのれの内からせりあがって来てしまうものの象徴としての「曼珠沙華」が詠われているのだとも解することができるはず。
若かりし頃に誰もが夢見たような青春期の夢は、もはやことごとく醒めてしまったけれど、それでも残っている我がいのちの炎に似て、目の前の曼珠沙華の、なんと鮮やかな深紅色に咲き誇っていることよ、と。
曼珠沙華は、秋彼岸の頃に村はずれの墓地や河原など、人気のないさびしい一帯に咲くことから「幽霊花」や「死人花」などとも呼ばれてきましたが、幽霊であれ死人であれ、いずれにせよ日の当たる生者(マジョリティ)の世界にたまたま存在することを許されなかった者たちの別称異称にすぎません。
そして、男たちの支配する“里=生者の世界”では許されなかった情念を心の深いところで湛え、ときに花咲かせていくことで、人は「女」になっていくのではないでしょうか。
9月22日にふたご座から数えて「表出」を意味する5番目のてんびん座へ太陽が移っていく(秋分)ところから始まる今週のあなたもまた、やはり心の深いところで湛えてきた情念を大胆不敵に発露させていくことがテーマとなっていきそうです。
もう一つの夢を見る
人は夢の中でなにものかを見、なにごとかを聞いてしまうものですが、こうした夢見の幻覚は、あるいは知覚というのは、いったいどこから到来するのでしょうか。
例えば、ベルクソンは2つの段階からこの問いに答えています。第一に、ひとは睡眠中でも視覚や聴覚や触覚から逃れられず、傍らで焚火を起こせば夢の中でもそれとなく明るい世界を体験したり、暖かさを感じたり、パチパチと何かが弾ける音を聞いていたりする。
そして第二の論点は、こうした感覚のかけらたちを意味づけ、かたちを与え、夢の内容として紡がれるのは、いったい何によっているのかということ。いったい何が「未決定な素材にその決定を刻み込むことになる」のか。それは「回想」であると、ベルクソンは述べています。
つまり、夢と現(うつつ)は、記憶と回想を通じて混じり合うものであり、現実とは異なる夢を見ようとするなら、回想の中にその素材を探さなければならないのだ、と。その意味で、今週のふたご座は、目の前の現実をそれまでと異なる角度から捉えなおすための「回想」をどれだけ積極的に行っていけるかが問われていくでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
我がいのちの炎に似て